アーケードが先か、国道が先か

それにしても、なぜ国道にアーケードなのか。実はアーケードが設置された1961年当時、商店街は「府道枚方富田林泉佐野線」の一部だった。旧国道170号に指定されたのは2年後の63年。つまり、国道にアーケードをかけたというより、アーケード街が後から国道に指定されたのだ。

商店街の看板について説明する西仲則夫さん。車の邪魔にならないよう、看板は高い位置に配置されている。

戦後、大阪の商店街は競うようにアーケードを設けた。大阪には戦前から日差しを避ける「日覆い」を店先に付ける伝統があり、アーケードを受け入れやすかった。新しいものは柔軟に取り入れる進取の気性もあった。「瓢箪山の先輩方も、恐らく時代の流れに乗ったんでしょう」。子供の頃から地元で暮らす商店主は話す。

府道とはいえ、アーケードの設置は簡単ではなかったそうだ。もともと旧170号は河内街道、東高野街道など、古い街道筋の流れをくむ幹線道路だった。車の往来は当時から多く、商店街も路線バスのルートだった。当時の写真を見ると、アーケードのすぐ下をバスやワゴン車が窮屈そうに走っている。役所が難色を示したのも何となくうなずける。最後は国会議員を動かして設置にこぎ着けた、との説もあるという。

旧道と新道が交わる槙尾中学校南交差点。直進しても曲がっても「170号」(大阪府和泉市)

その後、昭和40年代に新道が完成し、路線バスがそちらに移ると、自動車も昼間は通れなくなった。だが当時の名残は今も商店街に残っている。「ほら、看板の位置が高いでしょ。自動車の邪魔にならんよう規制をかけとるんですわ」。西仲さんが指さす先を見ると、確かにどの店の看板も地上から4メートルほど離れている。今でもコミュニティーバスなら通れそうだ。

商店街を抜け、八尾市、柏原市、藤井寺市、羽曳野市、富田林市と南下を続ける。河内長野市の中心部を抜けると旧道は弧を描きながら、進路を西へと変える。この辺りは和歌山県との府県境も近く、山道なので上り下りが激しい。

旧170号の最高地点、海抜207メートルの峠を越えると和泉市。山道らしく蛇行しながら西へと延びていく。槙尾中学校南交差点の道路標識は、国道マニアにはちょっと有名なスポットだ。新道と旧道が交差するため、直進、右折、左折すべての表示が「170」。行き先の地名が入っていなければ何が何だか分からない。

「何よりも国道として定着しています」

そのまま旧道を進むと、景色はすっかり山間の集落。道幅は狭く、やはり国道とは思えないが、地元の車しか通らないので都市部ほどひやひやすることはない。旧道の終点、新道との合流地点である熊取町の熊取交差点まではのんびりしたドライブだ。

一般に、新道にメーンの座を明け渡した旧国道は都道府県道に格下げされることが多い。だが旧170号は当面その予定はない。170号を管理する大阪府によると「標識の掛け替えや台帳の変更が大変ですし、何より国道として定着していますから」(道路環境課)。今回出会った人たちも「170号」「旧道」「きゅうみち」と様々な呼び名を使っていた。道幅がかなり狭かったり、通行止めの時間帯があったりと、クルマには少々厳しい「酷道」だが、周辺住民にとっては格式張らずに親しみやすいとも言える。いかにも大阪的な国道かもしれない。(大阪地方部 海野太郎)

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