「家庭も会社も同じ。主婦の視点で」 小松節子さん
小松ばね工業会長
油のにおいが漂う中小工場の街、東京都大田区大森南。精密なバネ作りで定評がある小松ばね工業を会長として率いる。1つ1円以下の小さな部品だが、何万回伸びても元に戻る品質はハイテク製品などに欠かせない。
この世界に入ったのは、創業者である実母の兄から養女に指名された25歳のとき。「義父は工場を継がせる前提で30人近い『おい』『めい』から私を選んだ」。明確な後継指名はなかったが、選ばれた重みを感じていた。
小学生から続けていたのはバレエ。養女になるとすぐに結婚し1男1女をもうけた。主婦として子育てする傍ら、生徒50人を抱えるバレエ教室の先生として活躍する。
その穏やかな生活が、40歳のときに義父が急逝したことで一変した。創業者を失い工場は混乱に陥る。社長となった夫は古参幹部から辞任を迫られ、株式を相続した自分が社長に祭り上げられた。ほどなく離婚。それでも「(養女に)選ばれた責任がある。投げ出してはダメ」と覚悟を決めた。
内紛で業績は低迷していた。工場は散らかり放題。薄汚れた応接用カップに顧客軽視が感じ取れた。「会社も家庭と同じ。まずはきれいにする。主婦の視点が役に立つ」。機械の汚れを自ら削る。社長の決意に少しずつ掃除を共にする社員が増えた。バレエで培った精神力で逆境を乗り切った。
バブル期に東北に製造拠点を新設し、業容を拡大。1997年にはインドネシアにも進出する。当時顧客はほとんどいなかったが、その後の経済成長で年間売上高2億円を稼ぐ孝行息子に育つ。
繊細な心遣いも忘れない。バレンタインデーには関係者に100個近くのチョコを贈る。内外の求心力を得て、従業員80人を超す同区有数の町工場に育てた。
もっとも、足元は厳しい。稼ぎ頭だった折り畳み式携帯電話が急減し、売上高は5年前の13億円超から、12年度は7億円まで落ち込んだ。
2年前、娘に社長職を譲ったが、このままでは引き継げない。「止まっているのが悔しい。まだまだ経営の勉強を続けないと」。引退後に備え、そろえた洋裁道具は手つかずのまま。人生半ばで出合った天職に、今は身をささげる覚悟だ。
(宇野沢晋一郎)
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