今に安住せず、走り回り続ける ヤマザキ マリさん
漫画家
まるで漫画のような、と形容したくなる人生だ。高校半ばで単身イタリアに渡り、絵の道へ。20代でシングルマザーとなり、食べていくために漫画家デビュー。やがて作品が大ヒット。今やイタリアと日本をまたにかけて活躍する人気作家だ。
"日本脱出"のきっかけは、14歳のときの欧州一人旅。当時、学校の集団生活になじめずにいた少女は、海外の旅先で出会う同年齢の女の子にカルチャーショックを覚える。「日本人のように他人に合わせるのではなく、自分のスタイルをしっかり持っていた。ものすごく大人に見えた」
その3年後。窮屈な日本の学校生活を離れ、「子どものころからやりたかった」絵を学ぶため、ルネサンスの都フィレンツェへ。「言葉もわからず、半ばホームレスみたいな生活を送った。ケンカしたり警察ざたに巻き込まれたり。1年で辞書がぼろぼろになるほどイタリア語を学んだ」
今のイタリアにさほど興味はなかったが、「自称詩人」と恋に落ち、10年同居。「生活力がまったくなく、私が勉強とバイトをしながら養った」。地をはう生活を続け、10年目に妊娠。「それを機に別れを決意した」という。「子どものためにも私が幸せにならないといけない、ここで別れないとずっとこの人に引きずられると思った」
慣れない土地で初出産。その後の変転はめまぐるしい。息子との生活を考え、日本に帰国して漫画に初挑戦。作品が賞をとり、その賞金で再びイタリアへ。35歳のとき14歳下のイタリア人男性と結婚。彼の仕事の都合で中東、ポルトガル、米国を転々とする間、古代ローマ帝国と好きな温泉の知識を生かして「テルマエ・ロマエ」を構想。コミック、映画ともに大ヒットを記録した。
「北海道の大自然の中で育った野生児で、走り回っていないといられない性格。ここにいれば安心という定住観念がない」と自己を分析する。それは、放任主義であった音楽家の母に女手ひとつで育てられた影響でもある。もちろん今の境遇に安住はしていない。「描きたい作品のアイデアはまだまだ無数にある」と鼻息は荒い。
(富田律之)
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