「さわる文化」に触れ、新たな楽しみ知るピンボケおやじ記者が行く

定年してから本当は何をしたいのかと自問してみる。切実にやりたいことは実はよく分からないのに気づく。好きなだけ本を読み、文楽を見て聴いて、古い映画を鑑賞する。友人や仲間と酒を飲んで語らい、時には温泉に漬かってのんびりする――。それで十分な気もするし、これだ、とひと筋に打ち込めないのが寂しいとも思う。

国立民族学博物館准教授、広瀬浩二郎さんの講演を聴く人たち(東京都杉並区)

離婚して独りだ。仕事に生きがいを感じ、勤め上げれば安泰という、世間では風前の灯火(ともしび)になりつつある「就社社会の黄金律」の中にいるから、ぜいたくな悩みかもしれない。

だが、だんだん視野が狭まり、視力も落ちていく網膜色素変性症が進むと、ささやかな定年後の楽しみも享受できなくなる。すでにかなり危うくなっていて、不安も募る。

そんなもやもやを吹き飛ばしてくれる元気な人に会った。広瀬浩二郎さん、45歳。大阪・吹田市の国立民族学博物館の民族文化研究部准教授だ。中学1年生で視力を失ったが、盲学校から京都大に入学。大学院博士課程に進んで研究者になった。専門は日本宗教史、障害者文化論など。

「目だけに頼っていたんだ」と痛感

2月2日、「ユニバーサル・ミュージアムの可能性を求めて」と題する講演会を聴いた。東京の杉並区立阿佐ケ谷中学校のクラブハウスに定員を上回る60人以上が集まった。視覚障害の人の姿も目立った。主催は一休会(東京)。成年後見制度を中心に障害者の権利を守る活動に取り組むNPO法人だ。

講演する広瀬さん(東京都杉並区)

ユニバーサル・ミュージアムは、「さわる文化」を提唱する広瀬さんが熱心に取り組む研究分野で、さまざまな活動を展開している。博物館や美術館は見て楽しむものという概念を打ち破って、五感で楽しめる展示を多彩なアプローチで模索している。視覚だけでなく、触覚、聴覚、味覚、嗅覚をフルに動員する工夫を施そうというわけだ。

大阪で広瀬さんがアドバイザーになったワークショップに行ったことがある。アイマスクをして展示物(主にレプリカ)に触ってみた。まだ視力が今ほどは落ちていないころだ。面白かったが、指先で展示物を鑑賞するには訓練が要ると実感した。ただ「展覧会で、これまで目だけに頼っていたんだ」と痛感した。

広瀬さんは視覚障害者の福祉増進を目的に活動しているわけではない。健常者(広瀬さんの言葉では「見常者」)も含めて万人が面白いと感じるミュージアムを増やそうと考えているのだ。共感する人たちのネットワークが広がりつつある。

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