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初めての俳句・短歌

斎藤茂吉の木の実の歌 短歌一口講座 ざくろ

2011/10/15

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(おおつじ・たかひろ)1960年三重県生まれ。龍谷大大学院文学研究科修了。現代歌人協会会員。三重県立松阪高校教諭

 今回の「耳を澄まして」では、斎藤茂吉(1882-1953)の柘榴の歌を取り上げました。

 茂吉は山形県の今の上山市に生まれています。おそらく少年時に多くの木の実を見、それを食べてきたのでしょう。茂吉の歌には、多くの木の実が登場します。

   秋晴のひかりとなりて楽しくも実りに入らむ栗も胡桃(くるみ)も

 昭和20年(1945年)8月、茂吉は疎開先の金瓶村(現上山市)で終戦を迎えます。その秋の歌がこの歌です。このとき茂吉は63歳でした。日本という国は敗れても、故郷の自然はいつもの年のように秋が来れば栗や胡桃が実りはじめる。秋晴れの明るい光のなかで、茂吉は人間の悲哀とは関わりのない自然の循環に心癒されているのでしょう。「楽しくも」「栗も胡桃も」といったこの歌の調べには、何か心の弾みさえ感じられます。敗戦の悲哀のなかにあるからこそ、秋晴れの明るさが心に沁みたのでしょう。

   朝市に山のぶだうの酸(す)ゆきを食(は)みたりけりその真黒きを

 昭和21年(46年)の秋、茂吉は山形県の肘折温泉に行って病を養います。温泉の朝市で山ブドウを売っていたのでしょう。果樹園で作られたのではないブドウに茂吉は心惹かれてそれを口に入れます。すると、酸っぱさが口の中にひろがりました。その酸っぱさに茂吉は山の温泉のわびしさを感じたのかも知れません。この歌の第三句は「酸ゆきを」です。本来5音であるべきなのに4音で、字足らずになっています。そのリズムの欠落感が茂吉の寂しさを象徴しているような感じがします。

   あけび一つ机の上に載せて見つ惜しみ居れども明日は食はむか

 同じときの歌です。茂吉は貰ったアケビの実を机に置いて眺めています。幼いころ味わった懐かしい秋の味覚を茂吉は想像して楽しみます。ただのアケビの実なのに、机の上に置いてまじまじと眺める茂吉。そこに山の木の実が好きだった彼の人となりが表れているようです。

 秋の木の実は茂吉のなかでは、故郷山形の豊かな秋の記憶と繋がっています。これらの歌に、しみじみとした愛情が籠もっているのはそのせいなのです。

(大辻 隆弘)

「初めての俳句・短歌」では、日本経済新聞土曜夕刊の連載「耳を澄まして あの歌この句」(社会面)に連動して、毎回、季節に合った写真に短歌や俳句を添えます。歌人の大辻隆弘さんと、俳人の高田正子さんが歌や句の背景、技法についてわかりやすく解説します。

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