浴槽はなぜ「湯船」? 本当にあった移動式銭湯

一方、江戸の町、特に下町は至る所に運河や水路がめぐらされていた。やや時代はくだるが、歌川広重の「名所江戸百景」には、数多くの江戸の水辺の風景が描かれている。江戸は水運の町で、地方から海産物や木材などを積んだ船が行き来していた。そうした船着き場に、船頭や船旅の客らを入浴させる船が現れた。これが湯船だ。

水運の町ならではの商売に

江戸時代中期の主な物価(1文は20~25円)
銭湯大人8~10文
そば・うどん1杯16文
串団子1本4文
居酒屋の酒1合30文
豆腐1丁50文
イワシ10尾50文
スイカ1個40文
げた1足50文
番傘1本200文
浮世絵1枚32文
コメ1升100文
駕籠日本橋~吉原(約5キロ)200文

はじめは浴槽はなく、湯を入れた桶(おけ)を積んだだけで「行水船」と呼ばれた。それがやがて浴槽を設けた屋形船になり、港や河岸に横付けして商売をするようになった。

江戸時代の川船の識別図鑑ともいえる「船鑑(ふなかがみ)」(船の科学館)によると、船の全長は二丈十二尺とあるから10メートル足らず。船の中央に風呂があった。客は風呂からあがると船上でのんびり涼んだのではないか。

湯をはった風呂のことを湯船というのはこの船に由来する。湯船はまた、川や水路を利用して町々をめぐり、移動式の銭湯としても親しまれた。到着の合図はほら貝の音で、これが鳴り響くと、近くに住む町人らがいそいそとやってきた。

町人に人気だった理由の一つが低料金。通常の銭湯の料金(8~10文)の半額で入浴できたという。川の水を存分に使えたせいかもしれない。

湯船は文化文政期(1804~29年)ごろまで続いたが、江戸の町が整備され、湯をはった銭湯(湯屋)の軒数も増えてくると次第に消えていった。

(川鍋直彦)

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