朝夕が涼しくなってきた。秋の夜長といえば、風呂に入って、ゆっくりくつろぎたいものだ。そんなある晩、浴槽につかっていたところ、ふと疑問がわいた。浴槽のことを「湯船」ともいうが、なぜだろうか。調べてみると、江戸時代には実際にそういう船があったという。
■室町時代は蒸し風呂が主流
湯船を辞書で引いてみると、「入浴用の湯をたたえておくおけ。浴槽」という説明に加えて、「江戸時代、内部に浴槽を設け、港湾の船や川筋に漕(こ)ぎ寄せ、料金をとって入浴させた小船」とあった(広辞苑第6版)。銭湯研究家の町田忍さんは、この湯船が銭湯につながっている面もあると指摘している。
日本で風呂に入る習慣がいつごろ定着したのかには諸説あるが、遅くとも室町時代とみられている。ただ当時は、蒸し風呂、つまりサウナのようなものだった。やけどをしてはいけないので、うすい着物を1枚身に着けて「入浴」した。また、足元に敷物をしいていたとされ、これが「風呂敷」の起源になっているという研究家もいる。
その蒸し風呂がいつごろから湯をためた風呂に取って代わったのかは、あまりはっきりしていないが、豊臣秀吉が有馬温泉(兵庫県)を好んで何度も訪れていたことや、徳川家康が1604年に熱海温泉(静岡県)に湯治に出かけたという逸話があることから、1500年代後半には湯につかることが広まっていたと考えられる。
■元禄時代に広まった銭湯
江戸時代になると、庶民の間でも風呂に入る習慣が広まってきた。しかし、家に風呂があるのは一部の武士や裕福な商人に限られていた。多くの人はたらいに湯をはって、かけ湯をする程度だったと思われる。
町人の台頭がいちじるしい元禄時代(1680~1709年)になると、銭湯がみられるようになった。ただ、当時は蒸し風呂の銭湯もあったようだ。湯をはるとなると、大量に水を使うため井戸が必要だったこともあり、銭湯の軒数は限られていた。