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借金は「帰」さない? 漱石の誤字に隠れた意図

2013/10/30

季節は読書の秋。校閲の仕事をはじめて2年だが、最近では、目にするものすべてに誤字脱字がないか探す“職業病”がすっかり身についてしまった。最近読んだ本から見つけた「誤字」はこちら。「商買(商売)」「借す(貸す)」「辛防(辛抱)」「引き起し(引き越し)」「専問(専門)」。実はこれ、すべて夏目漱石の小説「坊っちゃん」の直筆原稿の中から見つけたもの。「漱石は書き損じが多い」という話は一部では有名なようだが、すべて単なる書き損じなのだろうか?

直筆原稿に「誤字」散見

校正された上で出版されている岩波文庫の「坊っちゃん」(右)と、漱石の直筆原稿の画像で構成された集英社新書ヴィジュアル版の「直筆で読む『坊っちゃん』」

「坊っちゃん」は、「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」主人公の坊っちゃんが、四国の旧制中学に教師として赴任。そこで展開される生活を描いた作品だ。小中学校時代に読んだことのある人も多いだろう。

漱石の直筆原稿の画像で構成された集英社新書ヴィジュアル版「直筆で読む『坊っちゃん』」を見ると、現在の一般的な表記では誤字とされる表記がある。例えば、坊っちゃんに育ての親ともいうべき下女の清がお金をくれる場面。清からもらった3円を回想して次のように述べている。(以下、〈 〉で示した強調はすべて記者による)

「この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に〈帰〉すよといったぎり、〈帰〉さない。今となっては十倍にして〈帰〉してやりたくても〈帰〉せない」

漢字の使い分けは、新聞社や出版社が発行する用語辞典を見るのが分かりやすい。共同通信社が発行している「記者ハンドブック 新聞用字用語集」によると、「帰」は主に人に対して、「返」は主に事物に対して使う言葉。この場面では、返すのはお金なので、「帰」では不適切。「返」を使うのが順当のはず。一見、「誤字なのかな」と思ってしまいそうだ。

意図的に使い分け?

記者がよく目にする同音異義語・同訓異字タイプの誤字は、ワープロ変換ミスによるものが多い。だが漱石の時代にはもちろんワープロなどない。しかも、漱石の表記の使い分けをよく見ると、彼なりに一定のルールに基づいているものもあるようだ。「帰」と「返」にしても、漱石は自分なりに使い分けていたフシがある。

次の文章では、坊っちゃんが同僚教師の山嵐から借りた1銭5厘を、清から借りた3円と比べて物思いにふけるシーン。ここを読むと、漱石の「帰」と「返」の使い分けがはっきりする。

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