「今流れているモーツァルトの曲の名前は何でしょう」。あるテレビ番組を見ていたらこんなクイズが出た。「鎮魂曲。人が亡くなったとき、その人の霊を慰める曲です」という司会者のヒントに、解答者は「レクイエム」と答え“正解”した。が、記者はちょっと戸惑ってしまった。というのも、クラシック音楽の世界では「レクイエム=鎮魂曲」という解釈にいささかの疑問がある、と聞いたことがあるからだ。「ことば」に携わる者として、レクイエムの訳語や語釈を考えてみることにした。
■生者のため? 死者のため?
愛用の国語辞典を引くと、「レクイエム」は「死者のためのミサ曲。鎮魂曲。鎮魂ミサ曲」とあり、「鎮魂曲」を引いてみると「カトリック教会で、死者の霊を慰めるために捧げるミサ曲。鎮魂ミサ曲。レクイエム」と書かれている。
しかし、「音楽大辞典」(平凡社)では事情が異なる。同辞典の「レクイエム」に関する解説には、「キリスト教における、死者のためのミサ典礼のこと。またその式文を歌う音楽(ミサの一種)のこと」などとある。さらに、死者が天国へ迎え入れられるように神に祈る典礼であって、死者の霊に直接働きかけるものではなく、「鎮魂曲、鎮魂ミサなどの呼称は適当でない」と、国語辞典の語釈を否定している。
実はカトリック以外でも死者のためのミサを行う教派がある。有名な国語辞典「広辞苑」も、第5版ではレクイエムの説明を「カトリック教会で行われる、死者のためのミサ典礼」としていたが、第6版は「死者ミサに同じ」と極めてシンプルな説明に変わった。
レクイエムの歌詞(典礼文)の冒頭は「永遠の安息(レクイエム)を彼らに与え、絶えざる光を彼らの上に照らしたまえ」となっており、彼ら(死者)の救済を神へ祈るという内容だ。
また「鎮」には「しずめる。重みをかけてずっしりおさえる」(「漢字源」改訂第5版)という意味があるが、文鎮や鎮圧といった言葉のようにいずれもベクトルが「下向き」で、キリスト教の「昇天」とはそぐわない。「岩波国語辞典」第7版は「鎮魂」の第一義を「神道で、生き身の体から魂が抜け出さないように、体を落ち着かせる(=鎮)こと」としており、この解釈を採用すると、レクイエムは「生者のための曲」になってしまう。
■誰が訳したのか
なぜこのような違いが生じたのか。「レクイエム」の翻訳の歴史も調べてみた。
死人ノ為ニ読ム経文 | 「英和対訳袖珍辞書」堀達之助編 (日本初の本格的な英和辞典) | 1862年(文久2年) |
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称名ヲ唱ル事 | 「仏語明要」村上英俊編 (日本初の本格的な仏和辞典) | 1867年(慶応3年) |
鎮魂歌 | 「近代英詩評釈」片山伸著 (Robert Rous Stevensonの詩の題名を翻訳) | 1909年(明治42年) |
鎮魂曲 | 「音楽小話 モツアルトの最後と鎮魂曲」辻荘一 (「婦人之友」25年8月号収録) | 1925年(大正14年) |
モーツァルト「レクイエム」の日本初演は1926年(大正15年)12月11日なので、25年の「音楽小話 モツアルトの最後と鎮魂曲」が最も近い。これが「鎮魂曲」という言葉の最古の使用例かもしれない。