夏に気になる二の腕、昔は「一の腕」だった?

薄着のシーズンがやってきた。「出すべきか、隠すべきか、それが問題だ」。ちょっぴり太めになった二の腕を世間にさらすべきか否か、シェークスピアの主人公・ハムレットのように思い悩む女性も多いだろう。この肩から肘までの脂肪のつきやすい部分は、二の腕と呼ぶのが当たり前だと思っていたが、実は昔、「一の腕」と称したこともあったようなのだ。二の腕と一の腕、どちらが正しいのだろうか。

肩から肘までの部分。現在は「二の腕」と呼ばれているが…

辞書に「一の腕」の表記も

「二の腕」という言葉の意味などわざわざ調べる必要はないと思いがちだが、中型の国語辞典で広辞苑(岩波書店)と双璧をなす「大辞林」(三省堂、第3版)をめくってみると、意外な説明がついていた。

にのうで【二の腕】 (1)肩から肘までの間の部分(2)肘と手首との間の腕

1番目の解説は、普段使っている二の腕の意味であり、違和感はない。問題は2番目だ。肘から下の部分を二の腕と定義している。

さらに、大辞林にはこんな言葉もあった。

いちのうで【一の腕】 肩から肘までの腕

耳慣れない言葉だ。この解説によると、これまで二の腕だと思っていた部分は、本当は一の腕だったのだろうか。

17世紀初めの「日葡辞書」にヒント

ヒントは、「日葡(にっぽ)辞書」という17世紀初めに世に出た古い辞書にあった。

フランシスコ・ザビエルが日本でキリスト教を広め始めてから約50年後。1603年(慶長8年)に長崎のイエズス会の宣教師らが出した、日―ポルトガル語の辞書が日葡辞書だ。ポルトガル式ローマ字で表記した約3万2000語の日本語をポルトガル語に翻訳。来日する宣教師が日本人相手に布教活動をしやすいよう、当時の日本の話し言葉を多く載せている。室町~安土桃山時代の日本語や日本文化を研究するうえで、もっとも貴重な資料の一つとされる。

この日葡辞書に、大辞林の記述の根拠となる項目があった。

【Ichino vde イチノウデ】(一の腕) 肩から肘までの間の腕
【Nino vde ニノウデ】(二の腕) 肘から手首までの腕
(邦訳日葡辞書・岩波書店、1980年)

日葡辞書の編さん作業で、宣教師たちが参考にしたのは、当時の人々が日常使っていた言葉や、日本語の書物だった。特に多くの言葉を引用した参考文献が「太平記」。鎌倉時代から南北朝時代にかけての、動乱と戦の歴史を叙述した大作だ。この太平記に、二の腕という言葉が登場している。

「宮の御鎧に立つ矢は七本、御頬先と二の腕二か所まで敵に突かれなされて、流れる血はたいへんなものであったけれども」(巻第7、日本古典文学全集・太平記、小学館)

この場面の二の腕という言葉が、腕のどの部分を指すのかは、これだけ読んでも定かではないが、後世になってついた解釈は「肩と臂(ひじ)との間」(日本古典文学大系・太平記、岩波書店)。現在使っている二の腕の定義と同じだが、日葡辞書が解説している二の腕とは違う。

さらに不思議なことに、太平記には二の腕は登場しても、一の腕という言葉は出てこない。太平記だけではない。古い文献をたどっても、一の腕という言葉、日葡辞書の記述以外に探し出すことがなかなかできない。