「心が折れる」、起源は女子プロレスの伝説の試合

心が折れた元祖は「漂泊の詩人」?

実は、あの芥川龍之介も「心が折れる」を使っていた。1921年発表の短編小説「好色」には「さすがの侍従も今度と云ふ今度は、とうとう心が折れたと見える」とある。ただ、現代とは用法が違い、「気持ちが相手に向くこと」という意味だ。プレイボーイである主人公のアプローチに、侍従という女性がやっと応えてくれた、という場面。日本国語大辞典第2版(小学館)は助詞「が」を入れない「こころ折れる」の形で「気持を相手側に曲げる」といった意味を載せており、初出は1714年となっている。

さらに遡り8世紀、中国・唐の時代。「詩聖」と称される漂泊の詩人・杜甫も、この表現を複数回使っていた。「地隅」という五言律詩の「平生心已折 行路日荒蕪」は書き下すと「平生心已(すで)に折れ、行路日々に荒蕪(こうぶ)す」(普段から私の心は挫折しきっていて、行く手の道は日に日に荒れ果てるばかりだ)となる。自らの心と行く手の道と、どちらも荒廃した状況が二重写しになる。

杜甫といえば科挙に落第して各地を放浪したり、ようやく仕官したものの左遷に遭ったりと、不遇をかこったエピソードが有名。まさに「心が折れた」表現の元祖。しかし、そんな苦境を糧にしたからこそ、国を憂えるだけでなく、民の苦しみにも目を向けた優れた詩を詠じることができたとも思える。心が折れた経験をいかにバネにできるか――。杜甫の詩は、そんな問いかけをしているのかもしれない。

(中川淳一)