徳冨蘆花と徳富蘇峰、異体字「冨」が映す兄弟の不和

兄、徳富蘇峰は「国民新聞」(後の東京新聞)の発刊で知られる言論人。弟、徳冨蘆花は明治時代のベストセラー小説「不如帰」に名を残す文豪。近代日本史に確かな足跡を刻んだ兄弟の名字をよく見比べてみると、兄は徳「富」、弟は徳「冨」と分かれています。
弟は徳「冨」蘆花(写真左、写真下は群馬県渋川市の徳冨蘆花記念文学館)、兄は徳「富」蘇峰(写真右は胸像、東京都大田区の蘇峰公園)と分かれている

常用漢字(正字)である富に対する異体字で、俗字と呼ばれるのが冨。実の兄弟の間で違いが生じた形ですが、そもそも本名は徳冨でした。両者の差異は若い頃に慣れ親しんだ学問が深く影響しています。「漢学(中国の伝統的な漢文)の勉強に励んだ蘇峰は『漢字は正字を使った方がよい』という知識を備えた上で富を用いた一方で、英語の勉強に傾倒していた蘆花は富と冨の字体上の関係を知らないまま『本名だから』という理由で冨を用いたのでは」と、一家の旧居を保存する徳富記念園(熊本市)の藤川博昭館長は解説します。

とはいえ、この兄弟の不和は歴史上あまりに有名。とりわけ蘆花は蘇峰へ一方的ともいえる強烈な葛藤を抱いており、それは5歳上の兄への単なる劣等感や、長じてから表面化する思想上の対立だけでは片付けられないほどの屈折した感情でした。晩年まで冨で通した背景に「蘇峰の富と区別したい、という気持ちがあったのは確か」と藤川館長。兄と同じ富を嫌った可能性は十分にあります。号に関しても蘇峰(本名猪一郎)は故郷・熊本の名峰「阿蘇山」から取った雄大なものですが、蘆花(同健次郎)は「蘆(あし)の花」と地味。随筆に「『蘆の花は見所とてもなく』と清少納言は書きぬ。然(しか)も其(そ)の見所なきを余は却(かえ)って愛するなり」と由来を記しており、好対照を描いています。

新聞では異体字は用いないのが原則ですが、日本経済新聞では2001年3月から人名に限り「冨」の使用を解禁しました。高校歴史教科書でも最大手、山川出版社(東京・千代田)の「詳説日本史」は1998年版まで徳「富」だった蘆花が、次の2003年版から徳「冨」に改まっています。このように異体字使用に寛容な傾向が強まっている今日では、二人の名字の違いはますます固定化していくでしょう。1927年、蘆花は死の直前に病床で、14年ぶりに再会した蘇峰と劇的な「和解」を遂げました。兄弟の確執の名残をとどめる徳冨表記が広がる現状を知ったとしたら、どんな感慨を抱くのか興味深いところです。

(中川淳一)