墨田区と隅田川、「すみ」の表記なぜ違う? 23区に幻の区名

2012/10/9

今年5月に開業した東京スカイツリーは東京都墨田区にありますが、その近くを流れるのは隅田川です。読み方は同じ「すみだ」なのに「墨田」と「隅田」でなぜか表記が違います。地名の歴史を調べていくと、東京23区の名称決定に影響した、ある漢字表の存在が浮かび上がってきました。

公園、花火大会、学校…「墨田」と「隅田」が混在

墨田区にある東京スカイツリーと隅田川

墨田区が誕生したのは、東京が35区から22区(後に23区)に移行した1947年3月で、それまであった本所区と向島区が統合されてできました。初めは「隅田区」になる案が有力だったようで、墨田区誕生の1カ月前の東京新聞には同社主催の「新区名投票の結果発表」という記事があり、「隅田区」が1位となっていました。この結果は世論として議決に反映させるため区会に送られましたが、前年の1946年11月に内閣告示された当用漢字表に「隅」の字がなかったことを理由に、「隅田区」は採用されませんでした。

一方、地元で「隅田川」として親しまれていた川は、当時は荒川の支流という位置づけで実は「隅田川」ではありませんでした。歴史的には「墨田川」「角田川」などの表記もいくつか見られましたが、墨田区誕生から20年近くたった1965年の河川法施行により、正式に「隅田川」となったという経緯があります。

その隅田川周辺には現在も「隅田」と「墨田」が混在しています。川沿いにある公園は「隅田公園」、夏の風物詩である花火大会は「隅田川花火大会」。学校では墨田幼稚園、墨田中学校、墨田川高校が、いずれも墨田区内にあります。また、「春のうららの……」で有名な唱歌「花」の歌詞に出てくるのは「隅田川」です。こうした表記の不ぞろいの背景には、65年前の「隅田区」廃案と当用漢字表の存在があったとみていいでしょう。

民主化への意識が漢字制限を助長

ところで、当用漢字表とはいったいどんな漢字表だったのでしょうか。当用漢字表のまえがきには「法令・公用文書・新聞・雑誌および一般社会で使用する漢字の範囲を示したもの」とあり、国民生活の上で使う漢字を1850字に制限したものでしたが、「固有名詞については、法規上その他に関係するところが大きいので、別に考える」ともしていました。

新聞では漢字表の趣旨にのっとり原則1850字内で記事を書いていましたが、固有名詞については当用漢字以外の漢字も使っていました。本来なら区名などの固有名詞に漢字制限を適用する必要はなかったわけです。しかし、終戦直後の当時は漢字を分かりやすく使うことが民主化につながるという意識が強く、区名決定に際し当用漢字表による漢字制限が必要以上に行われました。

さらに調べていくと、漢字表が影響した事例が他区にも見つかりました。現在の文京区を決める際には「春日区」という案がありましたが、退けられています。春日を「かすが」と読ませるのは当用漢字の音訓表を先取りする形で却下されたようです。北区の「飛鳥(あすか)区」案も同様の理由で不採用となりました。「春日」「飛鳥」とも地域に根付いた歴史ある名称で、新区名投票でそれぞれ1位と人気を集めましたが、読み方が一般的でないとされ、採用には至りませんでした。港区の案で1位だった「愛宕(あたご)区」も、「宕」が当用漢字表になく、読み方も難しいため、選ばれませんでした。

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合併区の名称、住民が納得せず紛糾した例も