五輪からオリパラへ 時代映し変わる略称

長野大会で五輪とパラリンピックの日本選手団のユニホームが初めて統一された。橋本首相から激励を受ける長野パラリンピックの選手団(1998年3月2日、首相官邸)
長野大会で五輪とパラリンピックの日本選手団のユニホームが初めて統一された。橋本首相から激励を受ける長野パラリンピックの選手団(1998年3月2日、首相官邸)
五輪からオリパラへ――。4年に1回のスポーツの祭典の略称が変わりつつある。パラリンピック競技の知名度も低く、「五輪」が祭典の代名詞だった。近年、ダイバーシティ(多様性)を尊重する立場から障害者スポーツの社会的な地位も向上、両大会を一体としてとらえる「オリパラ」という略称が増えつつある。

「五輪」が登場したのは、後に返上した1940年の東京招致が決定した36年。五大陸を表すオリンピックのマークから連想した読売新聞の記者が「五輪」と記事の見出しで表記。以後、他の新聞も使うようになり、五輪という呼称が定着するようになった。

一方、パラリンピックは48年に英国で開催されたロンドン五輪に合わせて開催された下肢まひの障害者らによる競技会が原点とされる。60年のローマ五輪閉会後に開催されたのが第1回パラリンピックで64年の東京大会は第2回だった。

当初は脊髄損傷の障害者を意味するパラプレジア(Paraplegia)とオリンピック(Olympic)を掛け合わせた愛称として使用されていた。88年のソウル大会から「同等」を意味するパラレル(Parallel)とオリンピックを組み合わせ、下肢のまひに限らず様々な障害を持つアスリートのための「もう一つの五輪」という意味で正式に使用されるようになった。

97年版の旧総理府の「障害者白書」では、翌年開催された長野パラリンピック冬季大会に向けた障害者スポーツの取り組みを詳しく紹介。こうしたスポーツ振興が障害者の生活の質向上につながることの重要性を訴えた。この大会では五輪とパラリンピックの日本選手団のユニホームが初めて統一された。「ユニホームは五輪選手にだけ許された栄光」との考え方が変わり、ともに国の代表として闘うパラリンピック競技の知名度も少しずつ浸透してきた。

「オリパラ」という略称が出てきたのは2020年の東京大会招致活動の影響が大きい。13年に政府が内閣官房にオリンピック・パラリンピック推進室(現在はオリンピック・パラリンピック推進本部事務局)を設置、東京都をはじめとする地方自治体や企業でも同様の組織が相次いで設立された。

オリンピックとパラリンピックを一体にとらえる考え方は、障害や性別、人種、年齢などの多様性を受け入れて積極的な社会参加を促す近年の社会の価値観と重なる。今後、オリパラという略称が定着するかどうかは、社会の成熟度を測るものさしとなるかもしれない。

(和佐 徹哉)