待機児童2.3万人の裏側
国が初めて待機児童数を発表したのは1995年だ。86年の男女雇用機会均等法に続き92年に育児休業法が施行され、女性が出産後も働き続けられるようになった。90年代には共働き世帯が専業主婦世帯を上回り、保育ニーズが高まった。保育所整備は進まず待機児童が社会問題化し、政府も実態解明に乗り出した。
国は当初、認可保育所に入れなかった子どもをすべて待機児童と数えていたが、2001年に定義を変更。東京都の認証保育所など自治体が独自に助成する認可外施設を利用する子や、自治体が通えると判断した保育所があっても希望する他の施設が空くのを待つ事例は除くようにした。01年の待機児童数は新定義の適用で4割減った。数字上なら01年以降、大きく減ったようにみえる。
15年には国が補助する幼稚園の長時間預かり事業の利用者は待機児童から外せることになった。その間、01年に待機児童ゼロ作戦を打ち出すなどして保育所定員数は増加。15年には95年を29%上回る247万人に拡大。それでも2万人前後で推移し「解決に至っていない状況だ」(白梅学園大学の近藤幹生教授)。
国は08年から4月時点に加え10月時点の人数も公表し始めた。4月は保育所の開設が集中し待機児童は減るが、年度途中では開設が減る一方で入所申込数は増える。4月集計だけでは実態を把握するのが難しい。
判断基準があいまい 「漏れ」含まず実態とずれ
保育所に入れず育児休業を延長するケースを待機児童に含めるかどうかを、自治体の判断に任せていることがさらに実態を見えにくくする。「国が基準を統一しないと議論が進まない」(東京都世田谷区の保坂展人区長)との指摘も根強い。国は昨年4月時点で2万3167人としていたが、今春、01年以降の定義から漏れた数を公表。「特定の施設を希望」したことなどを理由に対象外としていた隠れ待機児童は6万208人に上った。
待機児童が減らない背景には、定員増を上回るペースで働きたい女性が増えるといった面がある。ただ、学習院大学の鈴木亘教授は「国が発表した隠れ待機児童数は氷山の一角。働きたいが申し込みをあきらめる人も含めなければミスリードする」と指摘する。実態を正しく把握しない限り、一億総活躍の実現はおぼつかない。
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保育所整備、要望に届かず
「安心して預けられる保育所をつくって」「保育士の給与を上げてほしい」――。3月下旬、衆院議員会館で切実な思いを国会議員に訴える保護者や保育士約50人の姿があった。世論の高まりから国は3月、前倒しで緊急対策を発表。保育所探しの「保活」の実態を調査するほか小学校の空き教室の活用で保育所整備を促す方針だ。
1960年代後半から保育の受け皿づくりは社会問題になった。働く女性が増え核家族化により子の預け先の確保が課題に浮上。白梅学園大の近藤教授は「都市部では保育所が郵便ポストの数ほど必要と叫ばれた」と説明する。保育所建設運動が広がったが、その後は少子化傾向もあり開設は抑制傾向に転じた。
転換点は90年。89年の合計特殊出生率が戦後、女性が最も子どもを産まなかった66年を下回ったことが明らかになってから少子化対策が重要な政策課題となった。国は保育所整備の目標値を定めた「新エンゼルプラン」(00年)などを相次ぎ打ち出したが、待機児童の解消の兆しはみえない。
(天野由輝子)
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