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ソニー“第三の創業者”驚きの素顔 創業家出身の盛田昌夫氏に聞く

2016/5/3

世界のブランド、ソニー。3期ぶりに最終損益で黒字となり、復活が鮮明になってきました。井深大と盛田昭夫という傑出した2人の創業者の後を継いで、ソニーの黄金期を築いた元会長兼最高経営責任者(CEO)の大賀典雄氏。盛田氏の二男で前ソニー・ミュージックエンタテインメント会長の盛田昌夫氏が語った「ソニー『第3の男』大賀氏の素顔」のインタビューを再公開します。

――大賀さんのことを子供のころからご存知だったと聞きました。

大賀典雄氏

 それどころか、大賀さんの方は僕が母のおなかにいる時から知っていたようです。(東京芸術大学から)ドイツに留学するときに、両親が港に見送りに行きましてね。大賀さんがインドかなんかに着いたときに、電報で「昌夫が生まれた」と知らせたそうです。僕は50歳過ぎても「お前いくつになった」と聞かれていましたよ。いつまでたっても子供というか、息子みたいなもんだったんでしょうね。

――大賀さんはどんな方だったのでしょう。今だから話せるエピソードを紹介してもらえませんか。

いや、困ったな。実は大賀さんは地図好きでしてね。本社で会議をするときに世界地図を持ってくるときがあるんです。僕らのプレゼンがあんまり面白くないと、あからさまに地図を見だすんですよ。そうすると、説明している担当者は焦るわけですよ。もう収拾がつかなくなる。だから僕らは会議の前には今日は地図をもって来るかな、どうかな、とドキドキしながら待つわけですよ。ああ、持ってきたやばいという感じですよ。

――そういうトップは突っ込みも鋭いんでしょうね。

僕がカーオーディオ事業部長のとき、アジアに工場をつくろうということになりましてね。ただ、大賀さんはパイロットの免許も持っていて、自ら飛行機で海外を飛び回っている。タイに工場を建設しようと考えたけど、なぜ今さらタイなんだと突っ込まれるのは分かっていましたから。大賀さんの秘書に訪問先を聞きましてね。中国の大連とか、インドネシアとか、すべての工業団地を先回りして僕が現地調査したんですよ。それで大賀さんに説明したら、ニヤニヤしながら「お前、秘書に聞いたんだろ」と言われながら、何とかOKしてもらいました。大賀さんの場合は、単純に説明して、通ることなんてありませんでしたね。

――実際に叱られた経験もありますか。

僕は(元ソニー会長の)出井(伸之)さんの下でオーディオ事業部にいました。1980年代後半だったかな、「MSX」という家庭用パソコンを手がけたんだけど、大変な赤字になったんです。大賀さんに呼ばれてね、「お前のビジネスは赤字が伸びてばかりだけど、どういうこっちゃ」と怒られてね。「責任者は廊下の真ん中歩くな。廊下の真ん中は利益を出している人が歩くんだ」と言われて。それ以来、廊下は端を歩くんだという認識がすごく染み付いています。声も体も大きいから迫力があるんです。しかし、そこから「プレイステーション」などデジタル機器の技術者が育ったんですけどね。

――大変勤勉な方だったともお聞きしましたが。

ものすごく好奇心の強い方だった。僕の知る限り、こんな物知りで、博識の人はいませんでした。ものすごい勉強家ですからね。そもそもパイロットの免許を取るのも、ヘリコプターの事故で入院している間に暇なので、自ら勉強してとったそうです。しかも特別な学習法があるんです。実は大賀さんは1日に2度寝る人だったんです。大賀さん独自の理屈があるんです。眠りのメカニズムのことは僕はよく知らないけど、1時間ほどすると、深くなり、しばらくすると浅くなるんでしょ。大賀さんは午後9時半とか、午後10時ぐらいに一度寝ちゃうんです。そして午前2時ぐらいに目が覚めると、起きて勉強するんです。指揮の楽譜を覚えたり、地図を見たり、飛行機の操作方法を学習するんです。また午前4時ごろに寝るんです。僕はそんなことしたら疲れませんかと尋ねたら、「バカだな。俺は一番深い睡眠を2回もとっているんだ。お前たちみたいにダラダラ寝ていないんだ」という。常識的な見方じゃないけど、しっかりとした大賀さん独自の理論があるんですよ。

ソニーの創業者、井深大氏(左)と盛田昭夫氏

――ソニーの2人の創業者は井深さんが技術、盛田昭夫さんが販売を担ったといわれましたが、大賀さんの役割は何だったのでしょうか。

井深さんと、うちの父と大賀さんの3人はちょうどいい具合、10歳位かな、年が離れているんですよ。3人がそれぞれ役割を分担し、尊重しあえたんです。井深さんは子供のような無垢な天才技術者。その夢を具現化するためにエンジニアが集まった。その一人だった父ももともと技術の人だったけど、販売に回りました。そんな中で、独特の感性を持った大賀さんは、井深さんや父にとっては新しい発見、出会いだったんでしょうね。大賀さんは、我々みたいに大きくなったソニーに入ったのではなく、成長する前段階のソニーに入った。井深さんやうちの父と一緒になって必死に成長を支えたんです。

井深さんのもとに集まったエンジニアの夢の実現に、うちの父も大賀さんもこだわっていました。今、ソニーもハードの優秀な人材が次々離れてしまいました。厳しい状況ですが、とにかく会社というのは経営理念というのが一番大切です。(1946年に)井深さんが書かれた設立趣意書があります。「自由闊達にして愉快なる理想工場をつくる」。大賀さんもこの理念を大切にして経営にまい進してこられたのだと思います。

(聞き手は代慶達也)

盛田昌夫氏(もりた・まさお)
1954年生まれ。78年ジョージタウン大学卒、モルガン銀行を経て81年にソニー入社。2003年ソニー・ミュージックエンタテインメイント代表取締役社長、09年代表取締役会長、15年6月退任。

2015年7月9日公開の日経Bizアカデミーの記事を再構成しました。

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