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イエール大学卒の元三井物産マンという、落語家としては異色の経歴を持つ立川志の春さん。小学校と大学の計7年間の米国生活で培った語学力を生かした「英語落語」も注目される。ところが、二つ目に昇進するまでは、得意だった「英語」を封印していたという。なぜか。

>> 立川志の春さん(上) 米イエール大卒の物産マンが落語家になったわけ

「前座」になると、芸名をもらい、先輩方の落語会で文字通り前座を務めることもできるようになります。師匠から「志の春」という芸名をもらった時は涙が出るほどうれしかったです。落語の稽古もつけてもらえるようになりました。でも、必死で覚えたものを「見てください」と言って師匠の前でやると、たいがい言われるのはこの一言でした。

「そんなものは落語じゃねえ!」

どこがダメなのか、は教えてもらえません。どうすれば落語になるのか、は自分でつかむしかない。

26歳で弟子入りした私は、結局、通常であれば5年で卒業できる「前座」を卒業するのに8年以上かかりました。気遣いに関しても、落語に関しても、勘の鈍い前座で、ようやく「二つ目」に昇進できたのは、2011年6月のことでした。

自分が「主役」となる重圧を知る

多くの落語家が、入門して当面の目標にするのは、この二つ目昇進です。二つ目になると、日常的な雑用や付き人稼業からは解放されます。自分の落語会を開くことが許されるのも、この時から。

昇進の瞬間は、ただ「うれしい」だけでしたが、なってみると「こんなに大変だったのか」と痛感しました。まだ半人前ではありますが、なにしろ、自分の名前でお客さんを呼べなくては生きてはいけません。毎日が真剣勝負です。

高座に上がると、「まくら」を話しながら、「今日はどんなお客さんが来ているのかな」「反応はどうかな」と考える。お客さんの反応によって、その日の演目も決めます。

こちらがどんなに必死に演じても、頭の中で想像してもらえないようでは、ただの独り言になってしまいます。落語はお客さんとの共同作業で作り上げていくもの。お客さんの表情を観察しながら、その先の反応まで読むことができなければ落語家は務まりません。「教えない」修業もこのためだったのか、と思いました。

おそらく、教えてしまった方が楽だったでしょう。早く育てようと思えば、その方がずっと効率的なはず。しかし、七転八倒しながら、必死でつかむからこそ身につくこともあります。時間がかかったとしても、自分でつかんだ芸は一生モノです。

「英語落語」の封印を解く

「英語落語」に本格的に取り組むようになったのも、二つ目に昇進してからでした。

立川志の春さん

立川志の春さん

実は前座時代に一度だけ、英語落語を演じたことがあります。「転失気」というネタでしたが、日本語ではまったくお客さんの反応がない状態が続いていたのに、この日ばかりは大ウケ。師匠も驚いていましたし、私自身も「な、な、なんなんだ、これは」と複雑な心境でした。

「英語はお前の武器になり得るが、"英語落語の人"になると活動の幅が狭くなったり、芸の幹が細くなる可能性がある。バランスには気をつけたほうがいい」

師匠からは、そう注意されました。日本語のリズム、間を身につけることの方が大事な時期なのに、お客さんから求められるまま「英語落語」の世界へ行ってしまうと、身につくものも身につかなくなってしまう。英語落語を封印したのは、それが理由です。

封印を解くきっかけは、2012年、シンガポールで開かれた国際ストーリーテリング・フェスティバルに参加したことでした。米国、英国、インド、インドネシア、ニュージーランド、マレーシアなど、各国から民族衣装を身に纏った民話の語り部たちが参加していました。そのなかで、最もエンターテインメント寄りだったのが私が演じる「落語」でした。

「こんなスタイルは見たことがない」「内容も、ものすごく面白かった」

参加したパフォーマーたちは口々に、そう言ってくれました。お客さんの反応も良かった。日本では、1人だけフライングして笑うのは恥ずかしいという感覚があるため、周りが反応するのを待つ傾向があります。海外の場合はむしろ逆で、先に笑った方が賢いアピールになるため、先を競い合うようにして笑います。ですから、同じネタでも海外の方が早く盛り上がる。この時も、いつもより長く間を置かないと、オチが言えないくらいでした。

演じている方にとっては心地よいのですが、同時に、「これで調子に乗ったらダメだぞ」と思う自分もいました。

「人間の欠点」を愛する芸が落語

振り返ると落語、そして師匠と出会ってから約15年になります。入門を認めてくれ、厳しく育ててくれた師匠に対しては感謝の気持ちしかありません。今は「真打ち」を目指し、ひたすら精進の毎日です。

同じ噺(はなし)をしても、日によってお客さんの反応は違います。見えている風景も、それぞれ違うでしょう。スジは同じでも、立ち上がってくる風景が違うからこそ落語は飽きない。「見えない部分」をどう見せるか、が落語家の腕だと思っています。

今の世の中、長屋暮らしで隣近所同士の話が筒抜けなんてことはめったにありません。わからないことがあれば、ご隠居さんに聞きに行くよりは、インターネットで調べた方が早いでしょう。そういう意味では、落語の舞台である江戸と、私たちが生きている社会とのギャップは広がるばかりです。

それでもなお、落語が多くの人に愛され、海外の人たちでも内容が理解できるのはなぜか――。やはり、国境を越えても伝わる人間の本質が描かれているからだと思います。

不思議なもので、海外では古典落語ほどウケがいい。登場人物が万国共通だからでしょうか。不謹慎だったり、知ったかぶりをしたり、成功者の真似をして無理に格好をつけたり、バカなこともやってしまう。昔の噺なのに、いつか、どこかで見たことがあるような人たちばかりです。

考えてみたら、それが人間なんですよね。いいところもあれば、悪いところもある。そして、どこか愛らしい。

落語の「笑い」には人間を包み込む優しさがあります。だから私は落語を好きになったのかな、と今では思っています。

立川志の春さん(たてかわ・しのはる)
1976年生まれ、大阪府豊中市出身。千葉県柏市で育つ。幼少時と学生時代の計7年を米国で過ごす。米イエール大学卒業後、三井物産に3年半勤務。2002年、退社して落語家の立川志の輔氏に入門。11年、二つ目昇進。英語落語も手がける。2013年、NHK新人演芸大賞本選選出。近著に「自分を壊す勇気」(クロスメディアパブリッシング)。

(ライター 曲沼美恵)

>> 立川志の春さん(上) 米イエール大卒の物産マンが落語家になったわけ

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