母に告白、お笑いへの第一歩立川笑二

高座に上がる立川笑二さん(東京都武蔵野市) 
高座に上がる立川笑二さん(東京都武蔵野市) 

まくら投げ企画4周目。今回の師匠からのお題は「やったやった!大成功」。

つい先日の話。地元沖縄での仕事をいただき、帰ることになった。そこで私はひとつのサプライズを思い付いた。

私はいつも、沖縄で仕事があるときは実家に泊まるようにしている。なので普段なら、仕事が決まると事前に実家に連絡をしているのだが、その時は一切連絡をせずにいきなり帰って家族を驚かせたいという衝動がわいてきたのだ。

東京にいるはずの息子がいきなり帰ってきたら、両親は腰を抜かさんばかりに喜んで迎えてくれるだろうと、ニヤニヤしながら予定を立てた。

その日、飛行機が沖縄に着いたのは22時50分。そこから車で1時間ほどかけて24時ごろに実家に到着。両親が大好きな東京バナナを持って玄関の前に立つ。喜ぶ顔が目に浮かぶ。ふふふふふ。

いざ! 帰宅! 玄関の戸をガラッと!

開かなかった。

鍵が掛かっていた。

そりゃそうか! 真夜中だしな! 盲点!

仕方がないが、ここでチャイムを鳴らしてしまうのも能がない。

どこか入れる場所はないかと探してみると、台所の窓が開いていた。

そこから入ろうとした時に居間でテレビを見ていた母に見つかった。

「なに!?」

「……ただいま」

「だれ!?」

「……ひろゆき(私の本名)」

結果的に、母は腰を抜かさんばかりに驚いてはいたが、それは真夜中の侵入者に対する驚きだった。

当然、喜ばれるはずもなく、その後みっちり怒られた。

「気持ちはうれしいけど、お願いだから変なことして怒らせないでよ。もお大人でしょう? お母さんはまだ怒らないといけないの?」

と言われてぐうの音も出なかった。

そこから東京バナナを出すことは出来ず、その後、泣きながら一人で全部食べた。

おいしかった。

こんな具合に、自ら策を立ててうまくいった試しはほとんどないのだけど、そんな中でも数少ない成功例を1つ。4投目。えいっ!

高校3年生の春。卒業後の進路を決める三者面談でのできごと。

この三者面談では、担任の先生、生徒、生徒の親の3人で話し合い、目標とする進路の最終決定をすることになる。

私は中学2年生のころから高校を卒業したら沖縄を出て芸人になると決めていたのだが、そのことをずっと親に伝えられずにこの日を迎えてしまっていた。

それどころか、その日を迎えるまでの私は、親や学校に対して「国立大学に入って学校の先生になる」と嘘をついていた。その上、嘘を見抜かれないためにと、塾に通いながら一生懸命に勉強するという演技までしていた。

本気だろうが演技だろうが、勉強をしていたら成績は良くなるもので、全教科の評定平均が4.8と無駄に高かったのがさらに事態を悪化させていた。

以前この連載にも書いたように、私の部屋にあるエロ本を見つけた母が「まともに育っている!」と喜んでしまうほど、私は真面目な息子だと思われるようになってしまっていたのだ。

しかし、この三者面談でも演技をしてしまったらいよいよ後へは引けなくなってしまう。そう思った私は三者面談の直前に、まず、担任のマナブ先生を味方に付けることにした。

うちから三者面談に来るのは母だ。担任の先生さえ味方に付けてしまえば押し切れる。

先生から

「ひろゆき君の性根は腐ってます。この子が教育者? とんでもない! 長い目で見ると国が滅びます!」

ぐらいのセリフを言ってもらえれば母も諦めてくれるだろう。

そう思った私は先生にお願いをした。

実は芸人になりたいと思っていること、それを親に伝えるのはこの三者面談が初めてだということ、先生には私が芸人になった方が良いと母を説得してほしいということを。

先生は嫌そうな顔をしながらも

「とりあえず、見てるから。頑張って説得してみて。応援はするようにする」

と言ってくれた。先のセリフは言ってくれそうにもなかったが、応援してくれるだけありがたい!

かくして私の人生を懸けた三者面談が始まった。

三者面談が始まってすぐに私は仕掛けた。

「お母さん、俺、高校を卒業したら芸人になるよ」

そうとう久しぶりに親に対して本音を言ったと思う。私は少し震えていた。

すると母から

「なーんだ。やっぱりそうなんだ」

という全く想定外の言葉が返ってきた

「え? お母さん、知ってたの?」

「ま、なんとなくね。頑張りなさいよ」

なんともあっけなく認められてしまった。しかしここで先生が

「お母さん、本当に良いんですか? ひろゆき君は大学進学も十分狙えますよ?大学卒業後に芸人になっても良いんじゃないですか?」

というまさかの裏切り行為に出た!

おいおいおい! ちょっとまってくれよ! あなた応援するって言ったじゃないの!

突然の先生による謀反に呆然としていると

「先生、この子は男三人兄弟の次男なんですけど、男が三人も居たら一人はこんなのが出来上がると思ってたんです。大丈夫ですよ。長男が建てて、それを次男が壊しても、三男が建て直してくれると思いますから」

という母の名言がさく裂した。

先生、苦笑い。こうして、あっさり私の卒業後の進路は芸人に決定したのであった。

その日の帰宅後、母に「芸人になりたいって、いつから知ってたの」と改めて聞くと

「知ってた訳ないでしょう! そんな重要なことは先に言いなさい! あそこで慌てたらみっともないから認めたの。どうするのよ。芸人になるって決まっちゃったじゃない! 卒業後は一切面倒見ないからそのつもりでいなさい!」

と怒られた。

母は先生の前で“息子の考えていることはなんでも分かっている親”として格好付けたそうだ。

それから3日間ほど口をきいてくれないほど怒っていたのだが、最終的には「先生の前で認めてしまったんだから仕方ないでしょう。やれるだけやってきなさい」と言って沖縄から送り出してくれた。

三者面談作戦、大成功! やった! やった!

当時はそう喜んでいたけど、今になって考えると、やっぱり母は私が芸人になりたがっていたことを知っていたんだと思う。

姑息(こそく)としか言いようのない手段を使った息子に対して、怒らなければいけない、母親という立場として、あの三者面談後の私は怒られたのかもしれない。

ちなみに、その三者面談の後で芸人になることを父と兄弟に伝えた。

父は

「なんとなく分かってた。頑張ってみな」

という無口な父らしい良い言葉をくれたが、

兄は

「芸人になるのに、あんなに勉強してたの? 意味が分からん。キモっ」

弟にいたっては

「お前で笑ったことないけど」

と言っていた。落語家として大成功してやるからな! お前達より“建てて”やるわい!

ここまでの原稿を書き終えて担当の編集者に送ったのが今月14日の早朝。

現在は19日の昼。

こんな文章を読んで下さった方が「こいつはバカだなー」なんて笑ったり、「全然面白くねーよ」と思えたりする、これまでの日常が1日でも早く戻って来てほしい。

被災地の復興を心よりお祈りしています。

(次回4月27日は立川吉笑さんの予定です)

立川笑二(たてかわしょうじ)。1990年11月26日生まれ。沖縄県読谷村出身。2011年6月に立川談笑に入門。前座時代から観客を爆笑させ評判に。14年6月、二つ目に昇進。出囃子は「てぃんさぐぬ花」。立川談笑一門会(4月28日、5月27日)のほかにも、立川吉笑、立川笑坊ら一門、立川流の若手といっしょに頻繁に落語会を開いて研さんを積んでいる。ホームページは、http://tatekawashouji.com/
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