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作家の朝井リョウさん

作家の朝井リョウさん

1956年から50年以上続く日本経済新聞朝刊文化面のコラム「私の履歴書」は、時代を代表する著名人が1カ月の連載で半生を語る。かつて書かれた「私の履歴書」を若い世代が読んだら、響く言葉はあるのだろうか。第1回は1956年と76年に、本紙に掲載されたパナソニック創業者の松下幸之助さんの「私の履歴書」を、松下さんが亡くなった年に生まれた直木賞受賞作家の朝井リョウさんに読んでもらった。

パナソニック創業者の松下幸之助氏

パナソニック創業者の松下幸之助氏

【松下幸之助 まつした・こうのすけ】1894年生まれ、和歌山県出身。小学校を4年で中退、自転車店などに奉公。22歳で独立、松下電器製作所(現パナソニック)を開設。明治、大正、昭和、平成を生きた。1989年、94歳で死去。

【朝井リョウ あさい・りょう】1989年生まれ、岐阜県出身。早稲田大学文化構想学部在学中の2009年に「桐島、部活やめるってよ」(集英社)で小説すばる新人賞を受賞。13年には「何者」(新潮社)で平成生まれとして初めて直木三十五賞を受賞。3年間の会社勤めの後、専業作家に。4月に新作「ままならないから私とあなた」を発売。

「老害」は20代からはじまる

――私の履歴書から
 私はずっと五分刈りの頭でとおしてきたので、アメリカにもそのままの頭で行った。しかし、アメリカではみんな髪を伸ばしている。それを見て五分刈りでは具合が悪いなと思い、滞在中に髪を伸ばすことにして、キチッと分けて帰国したのだが、これは姿から見た一つの変化だった。また、毎日1人で街を歩き、1日に必ず1回は映画を見た。英語は全く分からないが、画面に変化があり、市民の生活ぶりがよく分かるので退屈しなかった。
(松下幸之助「私の履歴書」第9回)

松下幸之助さんは変化を本当に怖がらない人ですよね。小さいことかもしれませんが、アメリカに初めていったときに、髪形をすぐ変えたというエピソードが印象的で。年齢を重ねると、自分の人生が正しかったという思いがどんどん強くなると思うんです。悪く言えば、老害というか。自分の考えは正しい、なぜならここまで生きてこられたから、という風に。それが松下さんからは本当に感じられなくて。歳を重ねた上で新しいことを取り入れていく積極性を持ち合わせているのは、本当にすごいことだなと。

新しいやり方というのは選択肢の一つであったとしても、提案された側からするとこれまでの自分を否定されたような気持ちになる。今までの自分のやり方が古いと言われているようで、意固地になってしまうというか。「紙の本が好きだから電子媒体では書かない」という作家の方もいますが、どんどん書いてほしいなと僕は思っています。感覚的には僕も紙の本のほうが好きです。

ただ、もし電子媒体でしか読まない読者がいるとしたら、そこに作品を提供する、しないをこちらが選択すべきではないと思います。これから、初めての読書体験が電子媒体になる子どもが増えていく中で、そこに手を差し伸べないのはどうなのだろう。松下さんの履歴書を読んでいると、変化に対応していく強さがいかに重要か思い知らされます。電子書籍が読まれても、紙の本が読まれなくなっているわけではないし、適材適所で良いところは残っていくはずだと思います。

僕くらいの年齢から、早いですけど老害が始まっていくと思います。20代からもう、すでに。例えば、サンプリングされた人の声を基にして歌声を合成できる「ボカロ」とか、僕には良さがわからない。でも「ボカロ」に宿る豊かさとか、そのスタイルでしか生めない音楽もあるはずなんです。だから、どっちの良さも理解していく人が一番賢いんだなって。自分になじみのないものが出てきたときに、松下さんのように自分をどんどん変えていくことができる人と、新しいものを拒否する人との間には大きな分断があるように感じます。

「できないことがなくなる」社会にゾワッとする

――私の履歴書から
青 春
 青春とは心の若さである
 信念と希望にあふれ、勇気にみちて
 日に新たな活動をつづけるかぎり
 青春は永遠にその人のものである
                松下幸之助
 私は現在85歳。今もなおこの銘を座右におき読み返している。
(松下幸之助「私の履歴書」第21回)

松下さんの思いが凝縮されているのが、この言葉だと思います。「新しいことに挑戦することが青春だ」って。今は、自分の行動を変えて何かをする必要がなくなってきているんですよ。例えば調べ物があっても、図書館に足を運ばずに検索ができる。自分が行動するという行為が、社会が便利になりすぎた結果、奪われていっている。

だから今の若い人は恋愛しないと言われているのかな、って思います。恋愛って自分を変えなきゃいけない部分がとても多い。「会いたい」っていわれたら、「○時までに終わらせる予定だった仕事、早く切り上げるか」みたいな。一緒に暮らしていれば「トイレットペーパー、俺はこっちがいいけど、おまえはこっちがいいの? じゃあそっちにするか」って、どのメーカーの紙がいいかということだけでも自分を変える場面がある。恋愛をすればそういうレベルで自分を変えるタイミングがすごくたくさんあると思います。

でも、現実には今、日常生活で自分を変えるタイミングがすごく減っている気がします。それって、実はすごく広い範囲に影響しているのかも、って最近思います。便利すぎて、自分を変える必要がなくなる風潮は、実は私たちから何かを奪っている気がする。そういうことを、最近すごく考えています。

僕はテレビが大好きで、最近、録画機能がついたテレビを買いました。会社員と作家の兼業時代は、ずっと見続けてしまうと思って、あえて録画機能のついたテレビを買っていませんでした。どうしても見たい番組があったら、何とかして家に帰っていましたが、その必要がなくなったときにびっくりして。便利になることは素晴らしいことですが、できないことがなくなっていくのは、全員の能力が同じになることなのかもしれないと。「便利になる」を「できないことがなくなる」と言い換えると、少しゾワッとしませんか。

(聞き手は雨宮百子)

(中)いま、キラキラしてみえる松下幸之助の性善説 >>

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