D・ボウイ氏と大島渚監督の"遺言" 坂本龍一さん
編集委員 小林明
「第二の人生のスタート」「病気になる前よりもタフになっていた」――。2年前に中咽頭がんと診断され、集中治療・療養を経て仕事に完全復帰した音楽家の坂本龍一さん(64)は現在の心境をこう振り返る。米アカデミー賞(監督賞・撮影賞・主演男優賞)に輝いた「レヴェナント:蘇えりし者」や「母と暮せば」の映画音楽や東日本大震災復興支援のためのコンサート(東北ユースオーケストラ)などの音楽活動を再始動させながら、それぞれのプロセスで何を考えたのか? 「戦場のメリークリスマス」でともに仕事をした"戦友"であるデビッド・ボウイさんや大島渚監督の死に何を感じたのか? 「東北ユースオーケストラ」の合宿所(千葉県長柄町)で語ってくれた単独インタビューの後編を紹介する。
読むべき本のリストを作成、文芸でなく哲学や人類学……
――ガンになって人生観は変わりましたか。
「いまは64歳ですが、還暦になったくらいで残りの寿命を意識したことがありました。もし80歳くらいまで生きるとすると20年しかない。20年なんてすぐですから『最低これを読んでおかなければ死ねない』という本100冊のリストを作ってみたんです。ギリシャ悲劇とか漱石全集とか……。でも、がんになってしまいましたから、20年どころの話ではない。もしかすると1年後にはすでに死んでいるかもしれない。1年で読める本はせいぜい10冊くらいかな。『これはヤバいぞ』と思って急いでリストを選び直して、いつでも読めるようにイスの傍らに置いてました」
――それはどんな本ですか。
「もう忘れちゃいましたね。父親(坂本一亀=元河出書房『文芸』編集長で三島由紀夫の『仮面の告白』、野間宏の『真空地帯』、高橋和巳の『悲の器』など戦後の日本文学界で多数の不朽の名作を世に送り出した伝説の編集者)には悪いけど、文芸じゃなかったです。哲学書や人類学……。ミシェル・フーコーとかクロード・レヴィ=ストロースとか。でも体調が回復してくると、新しい好奇心が芽生えてきて、選んだリスト以外の本を読むようになる。だからリストの本は後回し。不思議なものですね。自分でも意外だったのは、最後に執着するのが音楽じゃなくて本だったこと。本に囲まれて育ったからかな……」
故デビッド・ボウイ氏と「もっと交流できればよかった」
――英ロック歌手デビッド・ボウイが今年1月にがんで亡くなりました。
「彼とは『戦場のメリークリスマス』(戦メリ)での共演で知り合ったのですが、ショックでした。亡くなる2日前にリリースされた最後のアルバム『★(ブラックスター)』がすごく良かったから。十分に挑戦的でやる気に満ちていて、絶対にがん患者の声質ではないですよ。遺作にはなったけど、彼が死ぬつもりで作ったとはとても思えない。これが最後のメッセージだとは思いたくない。自分ががん患者だったからよく分かります。彼とは戦メリ後の数年間は交流があったけど、その後は周囲の守りが固くて、なかなか彼にたどり着けなかった。僕も彼も同じニューヨークに住んでいたのだから、もっといろいろ交流できればよかったと残念に思います」
大島監督と最後の対面、古武士のような目で"会話"
――映画音楽の世界に導いてくれた大島渚監督も2013年に亡くなりましたね。
「大島監督の映画は昔から見ていたので大ファンでしたし、僕にとってはヒーローでした。大島監督から『おまえは映画を作らないからひきょう者だ』と怒られたことがあります。戦メリで共演した北野武さんは後に映画監督になって『世界の北野』なったのに僕は映画を作らなかったと……。でも僕にはその才能はないと思っていますから」
「亡くなる1年ほど前にご自宅にお見舞いに行きました。随分長いこと病床にふせっていらしたので元気づけようと思ってお会いしたんです。もう言葉を発せられない状態だったので会話にはなりませんでしたが、あの古武士のような強いまなざしでじっとこちらを見ておられた。『来てくれてありがとう』『今生の別れだ』と僕に伝えたかったのかもしれません」
震災復興支援、「善意の押し売り」はしたくない
――東日本大震災を経験した子どもたちによる「東北ユースオーケストラ」の初の演奏会を開きます(3月26日、東京オペラシティで開催)。
「被災地で壊れた楽器の修復プロジェクトに取り組みました。楽器は音楽家にとって常に肌で接しているものなので、皮膚を裂かれるような痛みを感じたからです。修復した楽器を子どもたちが持ち寄って音楽を披露するコンサートを開いていましたが、それをさらに発展させてオーケストラを作ることになった。福島、宮城、岩手の3県の子どもたち130人くらいから応募がありました。僕は『善意の押し売り』がとても嫌なんだけど、子どもたちの心の声を聞くと役に立っているようなのでうれしく思いました」
世界各地に滞在し、生活の匂いを嗅ぎながら音楽を作る
――今後、挑戦してみたいことはありますか。
「これまで好きではなかったハワイに療養のために滞在したんです。ハワイに限らず僕は観光地が嫌いでね。でも今回はホテルではなくて家を借りて治療施設に通っていたので良い療養になりました。観光地を避ければ、ハワイにも普通の暮らしがある。海も山もあるし、何よりも気候が温暖で過ごしやすいから随分と助かりました。なぜか、いまは無性に色々な場所に行きたいんです」
――これまでもコンサートで世界各地には行っていますが……。
「もちろんそうですが、ホテルとコンサート会場とレストランの思い出ばかりなんですよ。それでは、その場所に行ったことにはならない。だから、さすがに1年は無理だけど、3カ月くらいは1カ所に滞在して、その場の生活をもっと知りたい。そして、その場所の生活の匂いを嗅ぎながら、そこで生まれる音楽を作ってみたいと考えています。台湾、香港、ポルトガル、アイスランド……。ドイツのベルリンにもアパートを借りていたことがあったけど、あまり行けなかったから、ベルリンにもちゃんと住んでみたいですね」
楽器の歴史にも興味、「貴重な時間」を音楽に使う
――体調がだいぶ回復してきた証拠ですかね。
「そもそもが出無精なので、実現できるかどうか分かりませんが……。それから、僕はあらゆるジャンルの音楽を学術的に掘り下げる「スコラ」シリーズというCDブックを出しているのですが、そこで今度は楽器の歴史をたどってみたいと思っています。琵琶とかシタールとか……。世界の楽器はつながっているので壮大な旅になるでしょう。『口琴(こうきん)』(細長い薄片を指やひもで振動させて口のなかで共鳴させる楽器)も世界中にあるんです。興味深いですよね。準備や勉強が大変そうですが、ぜひやってみたいですね」
「健康が回復すればするほど好奇心が沸き、関心の幅がどんどん広がってしまう。でも残された人生が減っているのは事実。自分の好奇心をできるだけ自制して貴重な時間を音楽中心に使っていかないといけない。今後はもっと音楽に集中していこうと考えているところです」
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