全財産を妻に残したい それを可能にする仕組み弁護士 遠藤英嗣

「なんで不義理で薄情な子どもに遺産を分けないといけないのか」という遺言作成の相談者、「遺言があるのに、なぜ結婚して間もない後妻に4分の1もの財産を渡す必要があるのか」と訴える相続人。遺言の相談を受けたり遺言書を作成したりする弁護士や公証人にとって、いまや最大の悩みは「遺留分」の問題ではないでしょうか。

遺留分とは最低限保証された取り分の割合のこと。遺言者本人だけでなく、遺言の作成・執行に携わる人たちすべてに様々な難題が投げかけられ、苦情が寄せられているのが現状です。

今回は、「遺留分の請求ができなくなる遺産承継」という難しい課題を「家族信託」の仕組みを使って実現する方法を考えてみようと思います。

妻に生涯安心して暮らしてもらいたい

高級住宅地に自宅(土地建物)を所有するSさんと妻のAさんから相談を受けました。夫Sさんが亡くなったときの相続に関する相談で、妻Aさんの住まいと生活費、納税資金を確保したいという内容でした。

SさんとAさんの間には子どもが3人。いずれも独立していますが、上の女性2人は共に夫が定年退職の時期を迎え、父親Sさんの財産を当てにしています。Sさんの願いとしては、金銭も不動産もすべて妻Aさんに残し、Aさんに思い出深い自宅で生涯幸せに暮らしてほしいというものでした。

Sさんの財産は自宅の土地建物と預貯金などの金融資産です。土地は120坪あり、そのうち50坪に家屋が建っていて残りは駐車場などとして他に貸しています。その収入は月額40万円ほどあります。

Sさんは、妻Aさんにほとんどの財産を相続させた場合、子どもたちから遺留分の請求がくるだろうということを心配しています。Sさんが「妻に全財産を相続させる」という遺言を作成したとしたら、子どもたち3人の遺留分はそれぞれ財産の12分の1ずつとなり、合計すると全体の4分の1に相当する額になります。

不動産の価額が高額なため、妻Aさんが払うことになる相続税を考えると、Aさんが子どもたち全員に遺留分に代わる「代償金」を与えられるだけの預貯金はありません。それに、不動産をAさんと子ども3人で相続させると共有分割に応じざるを得ず、場合によってはAさんが住まいを失うことになりかねません。

「リンゴの木」と「果実」という考え方

「リンゴの実を得る権利」と「リンゴの木そのものの権利」を分離する信託の仕組みがある

Sさんご夫婦の相談内容を聞いたとき、私は実務ではまだあまり利用されていないある家族信託の仕組みが浮かびました。それは「信託受益権の複層化型信託」という特殊な仕組みです。

例えていうなら、果実のなるリンゴの木を「権利」(信託の受益権)だと考えてもらえばよいと思います。「リンゴの実を得る権利」と、「リンゴの木そのものの権利」を別々の人に与えるという仕組みです。複層化というのは難しい言葉ですが、権利が実質的に2つに分離されるという意味合いです。

このケースでは、Sさんが亡くなったときに妻Aさんには「リンゴの実を得る権利」に当たる「土地建物を住まいとして使う権利と駐車場の収入をもらう権利(収益受益権)」を取得させるという信託を設定します。同時に、子どもたちには「リンゴの木の権利」、すなわち「不動産そのものを所有する権利(元本受益権)」と、Aさんが死亡したときAさんの有している収益受益権を均等の割合で取得させるというものです。

この仕組みをつくることにより、Aさんが生涯住むことができる自宅と生活費を確保したいというご夫婦の願いをかなえられると考えました。

子どもたちは父親Sさん死亡時には不動産自体を持つ権利を有し、さらに、母親Aさんの死亡時には収益をもらう権利も得て完全な受益権を取得する立場にあります。そのうえ、受益権は法律上、原則譲渡等が可能です。

しかも、例えば第三者が信託財産に害を加えた場合、元本受益者は加害者に対して損害賠償請求権もあります。つまり、リンゴの木自体が第三者によって不法に切り倒された場合は、元本受益者がこの第三者に対し不法行為に基づいた損害賠償請求ができるわけです。

子どもたちはこれだけの権利を持つことになるため、収益受益者であるAさんに対して「遺留分が害されている」との主張はできないと私は考えています。

相続税と不動産の譲渡所得税が課題

この仕組みを使った場合、遺留分の問題はクリアできると思います。でも、財産を当てにしていた子どもたちにはいささか不満が残るかもしれません。不動産自体はもらえるものの、Sさんの死亡時には不動産から得られる利益は何もないからです。それに、実際の契約条項では「取得した受益権は他に譲渡できない」と定められることが多いため、不動産を売却することもできないからです。

それ以上に不満が出そうなのが課税の問題です。

この例では、妻Aさんの死亡後に信託を終了させ、自宅不動産を売却し、3人の子どもたちで売却代金を配分することになると考えられます。ということは、子どもたちには相続税のほかに、不動産を売却した場合の譲渡所得税が課せられることになります。

また、仮に父親Sさんが死亡したときに、子どもたちに相続税が課されることになるとすれば、その不満はかなり大きなものになることが予想されます。

しかし、このケースのように妻Aさんの死亡後、収益受益権を子どもたちが取得して信託が終了する場合、信託受益権がAさんから子どもたちに連続して承継取得されるわけですから、Sさんの相続時、子どもたちには課税されないという考え方ができると思います。

つまり、Aさんが死亡したことによる2次相続時に、子どもたちがそれぞれ母親Aさんの有していた「リンゴの実の権利」を取得して、完全な形の権利(受益権)を持つに至るわけです。これは「リンゴの実の権利(収益受益権)」を連続して取得したということになり、「受益者連続型」の信託と呼べると思います。

リンゴの木の価格はゼロ?

受益者連続型の場合、父親Sさん死亡時、リンゴの実の権利者が法人でない限り、リンゴの木の権利者(元本受益者)には原則課税されないという考え方があります。

完全に同じ例ではないのですが、2008年5月28日に大阪国税局が出した「信託受益権を元本受益権と収益受益権に分割した場合の信託課税関係について」が参考になるでしょう。これによると、受益者連続型信託を選んだ場合の元本受益者(このケースでは子どもたち)の税について、税制上はリンゴの木(元本受益権)の価格は「ゼロ」とみなすとあります。

従って、すべての課税の対象は妻Aさんだけとなり、課税の面で子どもたちの不満は出ないことになるでしょう。

今回は、相続人の遺留分の権利行使ができなくなる家族信託の仕組みを説明しました。専門的な用語が多数出て、しかも税の問題にも立ち入ってしまい読者の方々にかなり難解な説明になったと思います。

この家族信託の仕組みはこれまでほとんど利用されておりませんので、この仕組みを実際に使った場合の遺留分の考え方や課税問題は、今後裁判などで考え方が示されていくと思います。

受益権の複層化、つまり受益権を実質的に分離するような信託を設定する際には、専門家にしっかりとアドバイスを受けていただきたいと思います。

遠藤英嗣(えんどう・えいし) 1971年法務省検事に就任。高松地方検察庁検事正などを歴任し、2004年に退官。05年公証人となり、15年に退官。公証人として作成した遺言公正証書は二千数百件に及ぶ。15年に公証人を退官し弁護士登録。日本成年後見法学会常務理事を務めるほか、野村資産承継研究所研究理事として税務の専門家と連携して、資産の管理・検証などを研究する。主な著書に「増補 新しい家族信託」(日本加除出版)、「高齢者を支える市民・家族による『新しい地域後見人制度』」(同)などがある。