シイタケ嫌い、見守った母
料理研究家、コウケンテツさん
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は料理研究家のコウケンテツさんだ。
――お母さんの李映林さんが料理研究家ですね。
「母が料理家になったのは50歳を超えてからです。夢を実現させるバイタリティーはすごいと思います。自分は25歳くらいから母の仕事を手伝い始めました。楽しそうに教えている母と生徒さんたちの生き生きした姿に接しました。料理を通じて人生を豊かにすることのやりがいを感じて、同じ道に進もうと決めたんです」
――子どものころから料理好きだったのですか。
「好きでした。お弁当を含めて3食必ず母の手作りでした。いつも楽しそうに作ってくれるので、料理を作って食べるのは自然に楽しいものだと感じました。料理は遊びの一環でした。末っ子の自分を含めてきょうだい4人がキッチンに集まっていました」
――お母さんのどんな料理が好きでしたか。
「中学生になって部活動や塾で忙しいときに、あり合わせの材料でササッと作る料理が特に思い出に残っていますね。チゲなどが多かったのですが、なんで短時間でこんなにおいしいだしが出るのかと驚きました」
「小さいころに食わず嫌いだったのがシイタケです。ただ母は食べなさいとか一切言いませんでした。あるとき、何だか申し訳なくなって食べたらおいしかった。口で何かを伝える教育ではありませんでした。自分で気付くことを大事にしていたんだと思います」
――大阪の下町の生まれですね。
「大きくない家でしたが、母は近所の人たちを呼んでご飯をふるまうことが多かったです。韓国料理を食べてもらうことで自分たちを知ってもらえるという思いがあったようです。自分も今、テレビ番組でアジアの家庭を訪問しています。現地の人たちと食を通してつながれるのは、そんな環境で育ったからでしょう」
――お父さんはどんな人ですか。
「昔気質の父親でした。キッチンに立つことはありませんでした。口癖は『ごはん、おかわりしたか?』。ごはんをおかわりしない男が社会に出て何ができるんだ、と言っていました」
「ごはんをしっかり食べていれば、多少の悪さをしても大丈夫でしたね。会社経営で忙しかったのですが、どんなに遅く帰っても母のごはんを食べていました」
――ご自身は1男1女の子育て中ですね。
「我が家は朝ご飯と晩ご飯を中心にすべてのスケジュールが回っています。朝ご飯は1時間くらいかけてしっかり食べます。6歳の長男は料理をするのが大好きで、一緒に作ろうと言ってきます。食が楽しいもので、生活のど真ん中にあるというのは私が子どものころと同じですね」
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