「いい曲だな」 作曲家の父にほめられた
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は俳優、ナレーターの戸田ダリオさんだ。
――お父さんは日本人、お母さんはイタリア人だそうですね。
「父は作曲家です。穏やかな人で怒られたことがほとんどありません。母は厳しかったですね。小学校から高校までインターナショナルスクールに通っていたのですが、毎日、宿題が山ほど出るんです。自分の部屋ではなく、ダイニングで勉強していましたが、母が後ろに立っている。さぼったり、できなかったりすると、パーンと頭をはたかれました」
「その頃はハーフの子供が少なかったのか、小学生のときは子供服のモデルの仕事をしていました。月曜から金曜まで学校、土日が仕事でした。でも人前に出るのはあまり好きではなくて、撮影では仏頂面をしてたそうです。ロケで出るお弁当が楽しみでしたね」
「中学からは学校に専念しました。部活はシーズン制だったので、サッカー、テニス、柔道、レスリングもやりました。なかでもレスリングは一生懸命取り組みました」
――両親の応援はあったのですか?
「テニスをやりたいと言えば、父も母も『ああ、そう』と。反対されたことはありません。いや、1度だけ母に、レスリングは野蛮だから辞めたら? と言われたかな。でもそれ以上は何も言いませんでした」
「そんな感じですから試合の応援に来ていた記憶はありません。勝ってメダルを見せても、父は『ああ、そう』と。『えっ? それだけ』って思ったこともありましたが、ひそかに喜んでくれているのは感じ取れた。だからそれで十分でした」
――俳優になるのは自分で決めたのですか。
「海洋生物学を専攻したくて米国の大学に願書を出そうとしたのですが、学費がかかると言われて断念しました。レスリングは続けたいと思っていたのですが、入学した上智大学にはなくてブラブラしていたら、友人に演劇をしないかと誘われたのです。それでも卒業するとき、自分は演劇しか学んでこなかったと思うくらい打ち込みました」
――両親に相談はしなかったのですか。
「心配はしていたと思いますが、実は両親から、ああしなさい、こうしなさいと言われたことがないのです。でも静かに見守ってくれていたのかな。父は親しい人にはよく『ダリオは今こんな番組に出ているんだ』と話していたらしく、陰で応援していたようです」
「両親は今、イタリアで暮らしています。数年前にNHKの教育番組でテーマ曲を作ったときに、父に聞かせたら『なかなかいい曲じゃないか』と言われました。直接ほめられたことは一度もなかったので、やっぱりうれしかったですね」
[日本経済新聞夕刊2016年3月15日付]
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