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京セラ、KDDI(現在)を創業し、日本航空を再建した稲盛和夫氏。84歳となり、京セラの社業に費やす時間は抑え気味だが、「盛和塾」の塾長として国内外の飛び回る日々が続く。若手経営者中心に塾生は1万人を突破。とりわけ中国の企業家の間で「稲盛ブーム」が起こっている。

京都市内の京セラ本社。東方に豊臣秀吉の伏見城が見える。1階ロビーには社員や取引先よりも中国人観光客の姿が目を引く。「中国にはいないタイプの名経営者」と訪れた50代の中国人は語る。

「謙遜にしておごらず」と語る稲盛氏は徹底して礼節を尊ぶ。常に柔和な笑顔を絶やさず、今の京セラの若手社員も「名誉会長は怒ったことがあるのか」と問うという。しかし、かつての幹部陣の見方は一変する。

稲盛和夫 京セラ名誉会長

稲盛和夫 京セラ名誉会長

「灰皿が飛ぶなんてざら」。「3時間のはずの会議が3日間続くこともあった」。稲盛氏の仕事に対する厳しさを異口同音に口にする。だからといってパワハラを受けたと批判的に話す元幹部は誰1人もいない。むしろ「自分が一番怒られた」と自慢げに話す。

稲盛氏の真骨頂は「とにかくあきらめないこと」。少年時代はガキ大将だったというが、大病を患う。一転、高校時代は猛勉強し、大阪大学医学部を受験したが、不合格。新卒で入社した京都の会社は火の車だった。不遇だったが、めげなかった。

すでに四半世紀前だが、稲盛氏は「鹿児島で西郷さんを知り、京都で大久保さんを知った」と筆者に語ったことがある。「心は西郷、才覚は大久保」という郷里の英傑のそれぞれの才を学んだ。日本航空の再建の際に持ち込んだものも、稲盛流の経営哲学と徹底した部門別会計制度のこの2つだけと話していたことがある。

「もう全然努力していない」と稲盛氏は笑うが、京セラの前田辰巳副会長は「今も数字には厳しい。闘争心は衰えていない」と話す。いずれも産業史に残る起業、再編、再建をやり遂げたカリスマはまだ何かやりそうな気がする。

(代慶達也)

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