マクラ投げ2周目、思わず赤面した母の「奇行」
立川笑二
まくら投げ2周目。今回も一番手を務めるのは、前回の失恋話の影響なのか本名でやっているフェイスブックへの友達申請が多くて対処に困っている、立川笑二です。友達申請に関しては「とりあえず」の感覚で片っ端から拒否しています。すみません。
さて、今回の師匠からのお題は『赤面! 恥ずかしかったこと』。
「お父さん、俺、沖縄を出て東京で落語家になりたいんだけど」
「だめだ」
「なんでだよ」
「うちは代々医者の家系なのに一人息子のお前が芸人風情になるなんて許せるわけがないだろう。何のために高い学費を出して医学部まで行かせてると思ってるんだ」
「人を笑顔にする仕事のなにが悪いんだよ! お父さんだって講演会では"笑うことが一番の薬になる"っていつも言ってるじゃないか!俺、立川談笑師匠の弟子になるよ。決めたから。明日、東京に行ってくる」
「……恥を知れ!」
あれから落語家になってはや5年。私はあのとき、父が言ったような恥ずかしい人生を送っているのだろうか。
みたいなことではないですよね。
まあ、父の家系は8代前から当代まで続く由緒正しい農家らしいし、私は男三人兄弟の次男だし、そもそも高卒なんだけどね。
とりあえずの2投目! えいっ!
『赤面!恥ずかしかったこと』
5年前に新成人として参加した、地元の成人式の2次会、居酒屋でのできごと。
私が中学2年生のころの担任だったトモユキ先生がその2次会に顔を出してくださった。
トモユキ先生は体育の先生であり、私たちの担任をしていた時は20代半ばだったと思う。
サバサバしていながらも面白くて、適度の距離感で私たちと接してくれていたので私は好きだったし、みんながどう思っていたかは知らないが、少なくとも嫌いだという人はいなかったはずだ。
そんなトモユキ先生とお酒を飲みながら、先生が当時の私たちをどう思っていたかという話を聞いていた。
そのなかで一番盛り上がったのが私の母親についての話だった。
先生いわく「お前の母ちゃんみたいな人は他にいないぞ」と。
私が通っていた中学校では年に一度、担任、生徒、保護者の3人を交えた三者面談があった。その日、最後だった私の三者面談が終わると、母は私に「あんたは先に帰りなさい。お母さんは先生と話があるから」と言い、私を帰して母と先生は教室に残った。
このできごとは違和感があったので覚えている。が、その日の夜、母に先生と何をしゃべったのかを尋ねても教えてはくれなかったし、翌日学校に行っても先生から何か言われることもなかったので、なんとなく流していた。
あの日、私がいなくなった教室で母と先生が何をしゃべったのか。
先生がそのときのできごとをしゃべり終えたとき、その席にいた友達は爆笑し、私は恥ずかしさのあまり震えていた。
先生の話をざっくりまとめるとこうだ。
あの日、教室で先生と二人きりになった私の母は「実はですね……」と言いながら、カバンから大量のエロ本を取り出し、机の上に並べ始めた。少なくとも10冊はあったらしい。
「先生、うちの息子の部屋からこんなものが出てきたんです」と。
先生はこの時点で「勘弁してくれよ。そんなの俺は知らねーよ」と思ったらしい。ただ担任としてそういうわけにもいかず、それらしい顔をして「これは、いけないことですね」と言うと、私の母は笑顔で
「先生、私はうれしいんですよ」と。
「うちの息子はまじめ過ぎるので親として不安でしたが、こんな本が出てきたので健全に育っているんだとわかり、安心しました! これからもうちの息子をよろしくお願いします!」
そう言うと、深々と頭を下げて母はニコニコしながら帰っていった。
当時を振り返りながらトモユキ先生は
「お前の母ちゃんはあのとき何がしたかったんだ! 俺はどうしたらよかったのか、いまだに正解のリアクションがわからない!」
「あれからしばらく、いろんな感情が込み上げてきてお前の目を見ることができなかった!」
「俺でも、中学生の自分の息子の部屋から熟女もののエロ本が10冊以上も出てきたらさすがに注意するけどな!」
と、さらっと私の性癖まで暴露するという高等技術まで駆使して話をしてくれた。
まさに赤面。ただただ恥ずかしい思いでいっぱいだった。
私は母からエロ本について何か言われたこともないし、トモユキ先生からその話を聞かされるまでエロ本を隠し持っていたことがバレていないと思い込んでいた。
ちなみに、この話を聞いた同じ席の友達は笑いながらも「理解のある面白いお母さんじゃん」とか「息子思いの優しいお母さんだな」というような感想を口にしていた。
それに対して私は真っ赤な顔で苦笑いするしかなかったのだが、私が恥ずかしくて赤面していた本当の理由はもっと別のところにある。
その理由とは
三者面談の後に母が私を先に帰して先生と教室に二人で残ったのが、そのときだけでなく、翌年の私が中学3年生になった時にもあったということ。
その中学3年生のときの担任がめちゃくちゃ美人で好きだったリサ先生だったということ。
そして最も大きな理由は、中学3年生のころの私は、欲を持て余しすぎて、自分の好きなようにエロ漫画を描くという奇行に没頭していた時期だったということ。
私が中学3年生のころ、三者面談があったあの日、あの後、あの教室で母とリサ先生は何をしゃべったのか。
当時の私の代表作は「桃子」。
鬼退治に出かけた桃子が、どのようにして旅のお供を増やし、鬼ヶ島でどのような戦いを繰り広げたのか。結果的に鬼の力に屈してしまった桃子は……。
この自作のエロ漫画の一部始終をリサ先生は知ってしまったのだろうか。
いまだに怖くて私は母に聞くことができない。
落語がウケずに落ち込んで自分の部屋に帰った夜、寝られないときにふとこのことを思い出すときがある。
もっと寝られなくなる。
そういえば先日、地元沖縄で師匠との親子会があったとき、母が師匠となにか喋っていたなあ……。
今日もまた寝られそうにない。
(次回、3月16日は立川吉笑さんの予定です)
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