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ライフコラム
法廷ものがたり

スノボ事故、ケガさせた相手はエリート医師

2016/3/2

法廷ものがたり

裁判記録をとじた厚いファイルを開き、埋もれた事案に目を向けてみれば、当事者たちの人生や複雑な現代社会の断片が浮かび上がってくる。裁判担当記者の心のアンテナに触れた無名の物語を伝える。

スキー場でスノーボードをしていた会社員がスキーヤーにぶつかり、足の骨を折るケガをさせてしまった。「後遺症が残り、仕事に支障が出て収入が減った」。スキーヤー側が訴訟で請求してきた損害賠償の額は、通常想定される額を大きく上回る1億4600万円。ケガをさせた相手は大学病院で将来を嘱望されていたエリート医師だった。

2月の午後5時。もう薄暗くなった新潟県のスキー場のゲレンデを、若い男性会社員がスノーボードで滑り降りていた。友人との待ち合わせ時間に遅れそうで焦っていたこともあり、スノボ4回目にしてはスピードが出過ぎていたのだろう。目の前に現れたスキーヤーを避けられずにぶつかってしまった。

スキーヤーの男性は転倒。地元の診療所でレントゲンを撮ってもらったところ、左足のすねの後ろを支える腓骨(ひこつ)が折れていた。氷水で一晩中冷やし、東京に戻ってすぐに大学病院で治療を受けた。ぶつかられた男性もその時点では完治すれば仕事に復帰できると思い、それほど深刻にはとらえていなかった。

左足に予想外の後遺症

ところが、折れた骨がつながっても足はしびれたまま、正座した後のようにピリピリした。左足の関節の可動域が右足の半分以下に制限される後遺症が残ってしまった。好きだったスポーツを楽しめなくなり、夜中に足を切断される悪夢を見るようになった。

スキーヤーの男性は大学病院の医師だった。関西の進学校を卒業した後、有名私大の医学部に現役で合格。23歳で医師の国家試験に合格し、母校の病院でキャリアを積んでいた。事故の直前には、大学が新たに設置する医療センターの担当となる人事がほぼ内定していた。

そんな順調なキャリアが事故で暗転した。当直勤務に就けなくなり、往診も困難になった。自信を持っていた内視鏡の技術も落ち、一般の医師のレベルより低くなってしまった。医師はスノボの男性会社員を相手に訴訟を起こし、後遺症による収入減などの損害が生じたとして約1億4600万円の賠償を求めた。

訴えられた会社員側も事故の責任については認めたが、「後遺症が経済的不利益をもたらすとは認められない」と反論。和解するとしても、支払うのは3500万円が限度だと主張した。

地裁「医師としての活動に相当の制約」認める

事故によって失われた「本来得られるはずだった利益」をどう評価すべきか。地裁の判決は「医師としての職歴を見ると、後遺症による勤務上の支障を回避しつつ、収入を確保することが比較的容易な立場にある」と指摘した。ただ「一刻一秒を争う医療現場では、医師としての活動に相当の制約が生じた」と認め、事故によって労働能力の15%が失われたと判断した。

判決は逸失利益を3400万円と認定し、慰謝料や受診料などと合わせて5860万円の賠償を命じた。会社員側は判決を受け入れ、地裁が支払いを命じた額に事故発生日からの遅延損害金を加えた計約7900万円を支払った。

しかし、医師の方は納得せずに控訴した。高裁の裁判官から和解を勧められても、「大学病院の勤務医の収入の実態が十分に伝わっていないように思い、応じることができない」と拒否した。

高裁の判決は休業損害を計算する際の基準額を引き上げたが、一方で「現時点では日常歩行や階段の上り下りに支障がないように見え、障害の程度は限定的だ」とし、労働能力の喪失率を14%に引き下げた。結局、賠償額は一審判決から100万円の増額にとどまった。医師もそれ以上争う道は選ばず、判決は確定した。

スノボで事故を起こした男性会社員は、保険会社が依頼した弁護士に裁判への対応をすべて任せていた。高額の賠償金も保険会社がすべて負担した。スノボに行く前、任意の損害賠償責任保険に加入しておいて良かったと、男性会社員は心の底から安堵したに違いない。

(社会部 山田薫)

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