ヒトと動物が共存する未来を目指すには

もうじゅう館ではユキヒョウが頭上に。ユキヒョウにとってここがお気に入りの場所(撮影・桜井省司、提供:株式会社LEGiON)
もうじゅう館ではユキヒョウが頭上に。ユキヒョウにとってここがお気に入りの場所(撮影・桜井省司、提供:株式会社LEGiON)

私たちはヒトの価値観の尺度で物事を計ります。生命観、倫理観、福祉などなど、生き物に対しても同じです。さらにヒトは国や宗教、生活習慣、文化、豊かさ等の違いで価値観の尺度に差があります。その動物に抱く動物観はヒトと動物の関係に直結します。昨年世界動物園水族館協会(WAZA)と日本動物園水族館協会(JAZA)の間で起きたイルカ問題が象徴的なものであったと思います。

「死」がすべての生き物の調和を保つ

動物園で飼育展示する動物の多くは野生動物です。飼育下で生まれようともヒトの意図で「品種改良」をしていないので野生で生きる本質は持ち続けています。

野生動物の生きること、命を繋(つな)ぐこと=繁殖の本質は食物連鎖、自然淘汰といった言葉で表されるように死を肯定することにあります。むしろ命を奪うことで全ての生き物の調和、バランスが保たれている世界だといえます。

こども牧場では唯一家畜やペットとふれ合うことができる(撮影・桜井省司、提供:株式会社LEGiON)

長く生きることが「命は大切」の基準ではないのです。動物園はヒトが作り出した施設でヒトの価値観の中にあります。ヒトは人為的に死への流れを断ち切る医療という技術を生み出し、生きること、「生」を絶対的に尊重し肯定する価値基準を持っています。

結果として長生きすること、生物学的な寿命まで生きることが「命は大切」のひとつの指標になり、死は否定的にとらえられるようになりました。全体よりも個を尊重する時代となり、この価値観はよりわがままに強くなっているように感じます。

善悪についても無責任な正義感の押しつけや主張が強くなっているように思います。少なくとも動物たちは数千万年の単位で命の関わり方にぶれはなく、ヒトだけが時代の変化と共にぶれ続けていて、翻弄されるのは常に動物の側であることは間違いないでしょう。

たとえばオオカミとシカ。健康な成獣のシカをオオカミが狩ることはほぼ不可能です。善悪ではなく体力、能力の衰えが目立ち始めた個体、幼獣、ケガや病気など何らかのハンディを持った個体などから獲物となります。

特に病気の個体が間引かれることで、シカの群れの健康が維持されるという面があります。オオカミはシカのお医者さんでもあるのです。それでも狩りの成功率は状況にもよりますが2割程度、野球ならレギュラーになれないかもしれません。

オオカミの遠吠え。オオカミは群れで子育てをする(撮影・桜井省司、提供:株式会社LEGiON)

シカは一産一子、オオカミは一産で6頭くらい産みます。でもオオカミはシカの数よりも圧倒的に少ない。多産な種はたくさん死ぬから多産なのです。オオカミは生態系の頂点の動物です。死ぬ原因はオオカミ同士の熾烈(しれつ)なテリトリー争いにあります。仲良くだけでは生きていないのです。

動物園で蹄(ひづめ)の状態が悪い個体がいると、飼育環境が悪いから改善しなさいとか野生ではこんな個体はいないなど言われるのですが、野生ではとっくに生きていないですから当たり前です。動物園だから生きていられる一面があります。

動物園が自然環境、野生動物を知る玄関口の機能を持とうとすると根本的な矛盾に直面することとなります。たとえどのように展示しようとも、個あるいは小単位での群れを切り取り種にスポットを当て、命を奪い食べることを再現できない中では、それはあくまで観る側にとって都合の良いつまみ食いの擬似空間にしかなりえないのかもしれません。

表面的な求心力を追い求めた歴史

手軽に都合よく多種の生き物を観ることができる動物園ではどうしても可愛い、珍しい、面白いなど表面的な姿やしぐさに興味が集中し、その動物に対する価値観が形成されやすいでしょう。動物園はその表面的な求心力を持つ動物を追い求め「だから見に来て」を繰り返してきた歴史があります。

動物園はその存在の一番の評価軸が来園者数だからです。その結果動物種により価値の高いもの低いものがあるような錯覚を来園者に与え続けてきたと思われます。近年では生物多様性の重要性が問われるようになり、絶滅危惧種や希少種といった付加価値をつけ関心を高めようとする傾向もあります。

さらにヒト独特の習性を利用した展示手法として動物園はヒトの安全が保証された場なので安易な餌やりなど関わりを持たせることで興味関心を引き積極的に餌やりやふれあいを行う動物園もあります。

動物を本来の生息環境から人為的な環境に持ち出している時点で、また上記のような展示をしていることも含め、動物園でつくられる動物観は、自然の中で観て得られる動物観とは異質なもの相反するものになりやすく、動物園が生物多様性の保全への貢献を標榜しその立ち位置を動物の側に置くのであれば、展示から生まれる動物観には細心の注意を払う必要があるのではないでしょうか。

要は動物園がどの視点から来園者の心を動かそうとするかで動物園でつくられる動物観はある程度決まってくると考えます。

旭山動物園では、安全と食べることを保証した中であっても、その動物らしい感性や感覚を発現させその動物らしい身体能力が発揮できる環境をつくることを強く意識しています。来園者がその動物が自然の中でどのような暮らしをしているかをイメージできること期待しているので、動物舎のデザインは生息環境を再現することにはこだわりません。

「ありのままの中に素晴らしさやすごさがある」「ありのままの中に尊厳を感じてほしい」を理念に、ガイドや解説看板などでは、擬人化、可愛い、触りたいといったヒトの価値観を切り口として興味を引かないこと、絶滅危惧種・有害動物・外来種・普通種など分け隔てなくすべて素晴らしい生き物として展示することを方針としています。

何よりも、その動物の尊厳を傷つけないこと。それは観る人にとってすべてが都合良く心地よいことだけではないのは分かっています。

動物園の社会的な存在意義を「飼育動物とその動物のふるさとを結ぶ架け橋」と認めてもらうことを目標に、マレーシアのボルネオでボルネオゾウのレスキューセンター建設などにも着手しています。

動物園でつくられる動物観は、その動物種の自然界での存続の未来をも左右しかねません。観光地で必ず起きる野生動物への餌付け。相手の尊厳を認めそっと見守る愛し方、関心の持ち方ではなく、自分の欲求を満たすための行動、食べろとは言っていない、与えたら勝手に食べたんだといういいわけ。動物園にもそんな感情をヒトの中に生み出した責任があるように思います。

坂東元(ばんどう・げん)1961年旭川市生まれ。酪農学園大学卒業、獣医の資格を得て86年から旭山動物園に勤務。獣医師、飼育展示係として働く。動物の生態を生き生きと見せる「行動展示」のアイデアを次々に実現し、旭山動物園を国内屈指の人気動物園に育てあげた。2009年から旭山動物園長(撮影・桜井省司、提供:株式会社LEGiON)

だからこそ動物園は預かった命の重さに責任を持ち、受けることを考えるのではなく理念を持ち発信をしていかなければいけないのでしょう。

今回は、ヒトと動物の関係学会の月例会で発表した抄録に加筆をしました。ヒトの価値観の押しつけだけでは、ヒトと動物の共存の未来が見えてこないと強く感じています。

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