お父さん、眠れてる? うつ病と不眠の深い関係

日経ナショナル ジオグラフィック社

2016/2/23
ナショナルジオグラフィック日本版

「うつ病は心の風邪」という比喩を耳にしたことがある人も多いだろう。その出自は私も知らないが、1990年代の後半には雑誌やメディアでもしばしば取り上げられていたと記憶している。もともとは「うつ病は(風邪のように)誰でもかかる可能性のある病気、苦しかったら躊躇(ちゅうちょ)せずに受診してほしい」くらいの意味合いだったはずだ。

ところがその主旨が誤解され、「風邪のような軽い病気ではない」「患者の苦痛を軽視している」などの非難を浴びるようになった。実際、うつ病は治りにくい病気だ。一般的に治療期間も長いため社会生活上の支障も大きく、回復した後も再発防止のための治療や心配りが必要になる。風邪と同列に扱われたのでは患者も家族もたまったものではない。うつ病に苦しむ人に心ない発言をしたりネット上にカキコミをする者も出るに至ってはこのような比喩は一切やめてしまった方が良いと思う。

うつ病が「誰でもかかる可能性のある病気」であることは間違いない。うつ病はきわめて身近な病気である。調査に用いる診断基準によっても異なるが、12カ月有病率(過去1年間にうつ病にかかった人の割合)が約2%、生涯有病率(調査時点までにかかったことがある人の割合)が約7%にも達する。

そして先にも書いたように風邪とは異なりうつ病は治りにくい。より正確に表現すれば、完治しにくい。ある程度治っても一部の症状が残ってしまうことが少なくないのだ。無症状にまで完全治癒するのは治療を受けている患者の6人に1人程度しかいないという報告もあるほどだ。治療を受けても残存してしまう症状は残遺症状と呼ばれる。

残遺症状とは具体的にはどのようなものか。たとえば、私たちが初診のうつ病患者さん128人を3年以上追跡した調査結果では、残遺症状の頻度の高いものから、(1)睡眠問題(不眠、時に過眠やリズム異常など)、(2)仕事や活動上の問題(仕事や趣味に対して興味を失う)、(3)一般身体症状(頭痛、体力低下や疲労感など)の順番であった。

初発のうつ病患者128名を対象として薬物療法の治療効果、残遺症状、再発率を平均3.3年間にわたり追跡した調査研究(Iwakiら、2012年)。ハミルトンうつ病評価尺度で症状をチェックした。身体的不安とは不安感に伴って出現する動悸や過呼吸など、精神運動抑制とは思考や会話が遅くなる、集中力が落ちるなど、心気とは健康のことにばかりとらわれる症状をさす。(画像提供:三島和夫)

睡眠問題のある患者は2年後の再発率が30%

残遺症状に関する他の多くの調査結果も似たような結果であり、睡眠問題、特に不眠症が絶えず上位にランキングされる。うつ病の不眠を「単なる症状」「うつが治れば消える」などと軽視していると、あに図らんや、抗うつ薬は飲み忘れても睡眠薬だけは手放せなくなったという患者さんも珍しくない。

このようにうつ病で始まった睡眠問題、特に不眠症がうつ病治療の途中から一人歩きを始めてしまうことが多いのである。その理由は「不眠症を慢性化させる「3つのP」とは?」の回を読んでいただけた方であればご存じのはず。いったんルビコン川を渡ってしまった(長引いてしまった)不眠は原因となった病気やストレスが解決しても自然治癒しにくく、難治性になってしまうのだ。特にうつ病ではその傾向が強い。

繰り返すが、これらの残遺症状は、薬物療法などによって診断基準上は「寛解状態」に至っても残存している治療抵抗性の症状である。寛解状態とはうつ症状が一定数以下になると付けられる小康状態のことである。先に紹介した私たちの調査ではある診断基準で寛解状態と判定された患者さんでも平均2.7種類の残遺症状がみられた。つまり、残念ながら、現在の薬物療法は多くの患者を「完治(無症状)」させるほどのパワーがないのである。

うつ病における睡眠問題には早めの対処を。(イラスト:三島由美子)

小康状態と言っても、残遺症状がある限り生活の質がなかなか高まらず復職や復学が出来ずに療養生活を余儀なくされることが少なくない。このような状況から、2020年にはうつ病が虚血性心疾患に次いで生活者に健康面での負担を強いる第2位の疾患になると推定されている(WHOによるDisability-adjusted life-year (DALY)指標)。

それだけではない。残遺症状があるとうつ病の再発率が高まることが分かっている。残遺症状のある患者の再発率は、完治患者の3~6倍も高いといわれる。しかもある調査では、睡眠問題のない患者では2年後の再発率が5%に留まったのに対して、睡眠問題のある患者では30%に達していた。睡眠問題は治療後にも実に厄介な存在なのである。

このようにうつ病の睡眠問題を「いずれは治る」と放置し、対処が後手に回るのは非常に損なのである。睡眠薬を怖がる患者さんが多いが、初期治療のタイミングを逃して、結局のところ睡眠薬を長期間にわたって服用するはめになったケースもある。逆に、治療初期からしっかりと不眠に対処することでうつ病自体の改善も促されることが明らかになっている。治すときは果敢に攻め、良くなったら速やかに引く。これがうつ病に伴う不眠治療の原則である。

睡眠問題が先行しうつ病リスクを高めるケースも

ここまでうつ病の残遺としての睡眠問題を紹介してきたが、逆に睡眠問題が先行してうつ病のリスクを高めていることも分かってきた。睡眠問題は前から後ろから大変なのである。

うつ病のリスク要因としての睡眠問題について注意を喚起した有名な研究が米国で行われた。約8千人の地域住民を1年間にわたり追跡調査したところ、調査開始時点と1年後の再調査時の両時点で不眠を呈していた人々(慢性不眠群)では良眠できていた人々(良眠群)に比べてうつ病を発症する割合が約40倍も高かったのである。これは非常にインパクトのある結果で大きな話題になった。その後も数々の臨床研究が行われ、現在では慢性不眠がうつ病のリスクを高めることは広く知られるようになった。

この研究ではさらに重要な結果が得られている。調査開始時点で不眠があってもその後に不眠が解消した群(不眠解消群)ではうつ病を発症する割合が良眠群と同程度に低かったのである。この結果は「不眠を放置しない」「果敢に攻める」ことがうつ病の予防にも効果的であることを期待させる。現在、快眠プログラムによる睡眠習慣の改善が中長期的にうつ病の予防に効果があるのか大規模な前向き研究が実施されているので、その成果を期待したい。

このように、睡眠問題、特に不眠症がうつ病に先駆けて出現することが多いという特徴を逆手にとって、うつ病の早期発見に役立てようという試みが内閣府を中心として行われている。初発うつ病の約4割、再発うつ病の約6割において不眠が先行して出現するとされている。

一般的にうつ病では、抑うつ気分や意欲減退などの中核的なうつ症状があっても自覚しにくいと言われている。それに比較して不眠症状は本人も気づきやすく、周囲も問いやすい。また会社勤めの人であれば産業医にも気軽に相談できる。そこで「お父さん、眠れてる?」というキーワードで前駆症状としての不眠に対する気づきを促し、うつ病の早期発見、ひいては自殺予防につなげようという試みである。成果の上がっている地域もある。詳しくは下記サイトをご覧いただきたい。

内閣府:自殺対策「睡眠キャンペーン」
http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/suimin/index.html
(イラスト:三島由美子)
三島和夫(みしま・かずお)
1963年、秋田県生まれ。医学博士。国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所精神生理研究部部長。1987年、秋田大学医学部医学科卒業。同大精神科学講座講師、同助教授、2002年米国バージニア大学時間生物学研究センター研究員、米国スタンフォード大学医学部睡眠研究センター客員准教授を経て、2006年6月より現職。日本睡眠学会理事、日本時間生物学会理事、日本生物学的精神医学会評議員、JAXAの宇宙医学研究シナリオワーキンググループ委員なども務めている。これまで睡眠薬の臨床試験ガイドライン、同適正使用と休薬ガイドライン、睡眠障害の病態研究などに関する厚生労働省研究班の主任研究者を歴任。『8時間睡眠のウソ。日本人の眠り、8つの新常識』(川端裕人氏と共著、日経BP社)、『睡眠薬の適正使用・休薬ガイドライン』(編著、じほう)などの著書がある。

(日経ナショナル ジオグラフィック社)

[Webナショジオ 2015年12月10日付の記事を再構成]

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