日本の貢献で死者減少 途上国の感染症対策を知る
寒さや乾燥した気候のため、この時期はインフルエンザに罹る人が増えます。働く女性は、仕事を休めないとか、家族にうつしたくない、といった理由から、対策に気をつけている人が多いでしょう。
インフルエンザのように、細菌やウイルスなどの病原体が人の体内に入ることによって引き起こされる病気を「感染症」と呼びます。日本は病院などの医療施設が整備され、うがい・手洗いなど公衆衛生の習慣を子どもの頃から身に付けているため、感染症を予防・治療できます。職場の同僚や取引先の人が「インフルで1週間休んだ」という話はよく聞きますが、しばらくすると元気に仕事復帰するのが当たり前になっています。
でも、開発途上国では、感染症で命を落とす人が少なくありません。特に、エイズ・結核・マラリアの三大感染症で命を落とす人は年間300万人にのぼります。今回は、この三大感染症に対処する国際組織「世界エイズ・結核・マラリア対策基金(通称:グローバルファンド)」事務局長のマーク・ダイブルさんにお話をうかがいました。
――日本は長寿国です。感染症で命を落とすことは、読者である働く女性たちにとって、あまり身近な問題ではありません。
ダイブル:確かに、先進国の健康な方にとっては遠い話かもしれません。私たちが対処しているエイズ・結核・マラリアの被害は中・低所得国に集中しています。例えばエイズの場合、全世界の患者の3分の2がサハラ砂漠より南のアフリカにいます。
ただ「患者」という観点からは遠く感じても、「支援者」という観点から、日本国民にとっては関連が深い問題なのです。
グローバルファンドができたきっかけは、2000年の九州・沖縄サミットにさかのぼります。議長国の日本は、感染症問題をサミットの主要な議題として取り上げ、先進国政府や民間団体が資金を出し、国際的なパートナーシップを組む必要性をうったえたのです。
当時、途上国では、エイズ・マラリア・結核など感染症の死者が多く、働きざかりの人がどんどん亡くなる状況でした。大げさな話ではなく、戦争と同じ規模で死者が増えており、保健問題は安全保障と同じく国家の存続に関わる大きな問題になっていました。「このまま放置していたら、国がなくなってしまう」という危機感がサミットで共有されました。
日本の提案をサミット参加国が確認したことで、グローバルファンドが生まれたのです。
――日本がそのように大きな役割を果たしていることを、知らない日本人も多いと思います。
ダイブル:グローバルファンドへの資金提供者を見ると、日本は第5位で、これまでに23億4645万ドルを拠出しています。これらの資金は、読者である働く女性のみなさんを含む、日本の納税者が払った税金です。みなさんと私たちの活動は見えないところで、つながっているのです。
日本を含むG7諸国、ビル&メリンダ・ゲイツ財団など民間団体や個人などが提供する資金を集めると、これまでに累計316億ドルにも上ります。武田薬品工業も598万ドルを寄付しています(2016年時点)。
――日本円にして3兆~4兆円を使った結果、途上国の感染症被害はどのくらい減ったのでしょう。
ダイブル:2002年の設立以来、2015年6月までに、グローバルファンドの支援で1700万人の命が救われた、と我々は推計しています。
例えば、エイズはかつて死の病と恐れられましたが、1990年代後半に、抗レトロウイルス薬が開発されて以来、感染を早めに見つけて薬を飲み続ければ、HIVに感染しても発症せず、元気に生活できるようになりました。治療が広まったおかげで年間の死亡者数は2000年代半ばの200万人をピークに減少しています。2014年の死亡者数は110万人でした。
――先進国が関心を持ち、対策にお金をかけることで途上国の人命が助かるようになった、ということでしょうか。
ダイブル:これまでの成果を見れば、その通りです。ただ、感染症対策で大事なことは、「キー・ポピュレーション」と呼ばれる、より感染リスクが高い人々を知ることです。
国や地域によって異なるキー・ポピュレーションを把握し、的確に治療を届けることの重要性は、アメリカ国内を見ていた時も、世界を見ている今も変わりません。ある感染症が全体的に見て減っていても、キー・ポピュレーションを取り出して見ると増えていることがあるので、注意が必要です。
HIVの場合、具体的には、LGBT、セックスワーカー、ドラッグユーザーといった人々で、社会の差別や偏見を受けやすいため、治療が届きにくいという課題があります。
私はもともと医師であり、科学者です。HIVウイルス学や免疫学、治療最適化に関する基礎・臨床研究を行った後、米国大統領緊急エイズ救援計画(PEPFAR)の設立を主導し、代表を務めました。米国でも、エイズ患者はアフリカ系とラテン系で患者が多かったですし、移民の女性や若い女性の感染率が高かったのです。
――治療薬を届けるだけでなく、人々の健康に欠かせない「保健システム」の構築支援をしています。
ダイブル:単に病院を作るだけでは不十分だから、です。社会の周辺部に追いやられた人々が通院したり薬を継続的に飲んだりできるような環境を作る必要があります。
病院があっても行けない、薬はあっても入手できないのでは意味がありません。必要な人が必要な医療サービスや薬にアクセスできる状態を作るためには「コミュニティ・アウトリーチ」が欠かせません。我々は、地域にあるNGO(非政府組織)などと協同して事業を進めています。
また、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(Universal Health Coverage: UHC)と呼ばれる保健システムの構築にも関わっています。これは、誰でも、どこにいても、必要な医療を無理のないコスト負担で受けられる仕組みです。日本には、国民皆保険制度がありますが、同じようなものをイメージしていただくと分かりやすいです。
――確かに、日本の働く女性は健康保険証を持っていますから、お金のことはあまり気にせず病院へ行けます。
ダイブル:日本は世界でも有数の妊産婦と乳幼児の死亡率が低い国です。かつては、今の途上国と同じように高い死亡率でしたが、第二次世界大戦後、劇的に改善しました。
ただし、これは日本が経済発展する前のことでした。なぜ改善したか、と言うと、日本が国民皆保険制度を導入したためです。これにより、貧しい人も必要に応じて病院へ行けるようになりました。つまり、医療上の公平性が確保されるようになったのです。
日本の経験は、今の途上国の問題を考える際、とても重要です。確かに、社会全体が豊かな方が感染症などの死者は少ない。でも、さほど豊かでなくても、UHCや国民皆保険という形で医療へのアクセスが平等にすべての人に開かれれば、今の途上国の健康問題も大きく改善されるはずなのです。
平等という意味では「ジェンダー平等」も大事です。例えば、女の子が就学するようになると、HIV感染率は下がります。児童婚も減ります。学校へ行くことで文字が読めるようになり、視野が広がり、自尊感情が高まる。それは健康状態をよくすることにもつながります。病気を治すというと薬や病院、医療従事者の役割に注目しがちですが、社会のありよう、公平性や少数者の人権への配慮など、包括的に取り組む必要があります。
――日本の働く女性たちに伝えたいことがあればお願いします。
ダイブル:世界をより良い場所にするために、エンゲージ(参加)してください。方法は色々あります。まず、知ること。そういう情報に関心を持ったり、友人と意見交換をしたり、寄付をしたり、小さなことからでも世界の問題に関わってほしいと思います。
(ジャーナリスト 治部れんげ)
[nikkei WOMAN Online 2016年2月8日付記事を再構成]
健康や暮らしに役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。
関連企業・業界