マネー研究所

Money Interview

これから10年で自分に何ができるか真剣に考えてます シンガーソングライター 鈴木康博さん

日経マネー

2016/2/16

撮影/高山 透
日経マネー

──今年(取材当時、2015年)はオフコースのデビューから何と45年目だそうですね。

少し前までは「あっという間だったな」と思ってましたけど、45年の間には本当にいろんなことがあったので、改めて振り返ると「長かったなあ」という感じです。

──この間、音楽の作られ方や流通の形も随分変わりました。

アナログのレコードからCDになって、今はダウンロードですからね。コンピューターで音楽を作り始めた頃、世の中にはまだフロッピーディスクしかなかったけど、僕は今のUSBメモリーをもっと小さくしたようなものがCDに取って代わると予想してたんですよ。ところが実際はメディアがなくなり、インターネットの発達で、海外とリアルタイムでセッションできたりもする。隔世の感があります。

──また昔は家で誰かが鳴らしている曲を聴いて、自分も覚えるというのが普通でしたけど、今は各自がイヤホンで聴いてますから。

親父や兄貴の影響、みたいなのはなくなって音楽も断絶しちゃう。そうすると古い音楽は全く聴かれなくなっちゃって、残念ですね。

すずき・やすひろ 1948年、静岡生まれ、横浜育ち。中学生の頃、アメリカンポップスに影響されてギターを弾き始める。東京工業大学在学中に友人の小田和正とオフコースを結成し、70年にシングル「群衆の中で」でデビュー。多くのヒット曲を残す。82年にオフコースを離れ、83年にアルバム『Sincerely』でソロデビュー。以降積極的に作曲やライブ活動を行う。プロデュース、楽曲提供も多く、他にラジオDJや他アーティストとのコラボ活動なども。

 ──CDが売れない時代と言われて久しいですが、ダウンロードが主流になるとミュージシャンの生活にもさらに影響があるのでは。

そうですね。今度のApple Musicにしても便利そうなんですが、同時に、作ってる人・歌ってる人が、普通に生活できるようなことも考えていくべきで。売る側だけがもうかればいいというバランス感覚のなさは問題だと感じてます。

でも一方、我々は聴いてほしいから曲を作ってるので、聴いてもらえるチャンスを捨てるわけにもいかない。自分でも、探しても手に入らない古いジャズなんかはダウンロードで買いますしね。

──最近の日本のポップスは歌詞が弱くなったなと感じるんですが。

英語で言ったことを和訳して繰り返したり。そういう無駄な言葉合わせが多い気がします。ま、ワタシ自身も若い頃はそんなことをしてましたので(笑)、人のことは言えない。今、オフコース時代の曲を歌うのはすごく恥ずかしいですよ。

──そうなんですか!? 時に、鈴木さんの曲は一人称が「俺」の男っぽい歌詞が多いですね。

そうかも。小田さんに比べると、女性の心理には弱いので。リアリティーがないんですよね。恋愛経験が少ないっていうか(笑)。

──特に最近は世の中への問題意識を感じさせる歌詞も増えてます。新譜『この先の道』にも、「エネルギー問題」や「この国のいびつな成長」など、従来のポップスの文脈にない言葉が出てきていて。

いやいや、自分では社会派なんていう意識は全然なくて、普通に生活している中で気になることを書いてるだけなんです。「みんなも気になるよね?」くらいの感じ。

──でもそれが、ラブソング以外の曲も聴きたくなった中年ファンには響くんですよね。さて、鈴木さんが音楽にはまったきっかけは?

高校のクリスマスパーティーで、生徒で「80日間世界一周」なんかを合奏することになり、ガットギターを始めたんです。とはいえ最初は単音でメロディーを弾いてる程度で。

その後、ブラザース・フォーとかキングストン・トリオなどカレッジフォークが入ってきて、「七つの水仙」とか「花はどこへ行った」を何人かで合奏するようになった。それを学園祭で発表しようかと4人集まってブラザース・フォーの真似して何曲か歌ったんですけど、それがアンコールの連続で、思いのほか受けた。その辺がきっかけです。4人の中には小田もいてね。

大学に進んでも音楽を続けていて、かなり夢中になりました。で4年生の卒業の時に、ヤマハのライトミュージックコンテストに出場。総合優勝は赤い鳥で、オフコースは2位でした。その頃僕は工業用ロボットで知られる安川電機に内定してたんですが、音楽への思いが強くて「申し訳ない」とお断りして、この道に進んだわけです。

何を聞いても誠実に答えてくれる鈴木さん。「団塊世代の人たちって、平均でどのくらいの退職金をもらってるんですか?」など、編集部に逆質問も。

──その後オフコースの進撃が始まりますが、一番忙しかったのは?

「愛を止めないで」が中ヒットする少し前、アルバムだと『Three and Two』辺りからですかね。2000人の市民会館クラスでの全国ツアーが、自分たちの曲だけでできるようになって。それまではビートルズやビー・ジーズのカバーを入れたりしてました。で春夏・秋冬ツアーが60本ずつ、年間120本のツアーで全国を回る生活が4、5年続きました。その頃はツアーが終わるとアルバム制作に入り、完成すると次のツアーの練習、合宿、ツアー、シングルの録音……なんて感じで、家に帰る暇がないんです。

ただ、そういう生活は若い頃に夢見た状況でもあって、辛くはなかった。辛かったのは、オフコースに居ながらオフコースを辞めて鈴木康博という土俵を作るんだと決心して、3年くらいずっと続けてた時期です。みんなには言わず、武道館10日間公演を最後にという気で、応援してくれたファンの皆さんへのお礼のつもりで続けてましたから。

──サラリーマンも「会社を辞めます」と切り出すのはすごく辛いので、よく分かります。

そういう風に何か自分でやり始めたいなって時、起業家精神が芽生えた時に、周囲と折り合いが付かなくなって辛くなるんですよね。

■スタンダードがどこなのか分からない複雑な時代になりましたね

──コンピューターを使った楽曲制作はその頃からですか?

スティービー・ワンダーやポール・マッカートニーがマルチトラックのテープレコーダーで、家で全部の楽器を1人で演奏してアルバムを作って、それがグラミー賞を取った。僕もギター、ベース、ドラムまで楽器大好きだったんで、「これがやりたい」と思ってね。ちょうどオフコースを辞める頃に、YMOも使っていた簡単なシーケンサーが登場して、それを使って1曲全部自分で作ったのが最初です。当時は機械の能力も低くて、とんでもなく時間がかかりましたけど。

──新譜の中の「コンピューター」にもそれが出てきますね。4ビットが64ビットに進化したけど、僕はそれを使ってゲームしてる、と。

そう、超高速の暇潰し(笑)。でも、1人で全部できるのはパソコンの進化だけじゃなくて、やっぱり生楽器やアレンジの経験があるからだと思うんです。今はアマチュアのデモテープレベルの演奏が動画サイトにたくさん上がってますが、そういう音がはびこっちゃってる風潮は困りものでね。やっぱり音楽はプロデューサーなりディレクターなりの耳を通して、音を奇麗にまとめてから、人に聴かせるもんです。

──電子書籍時代は誰でも本が出せるので出版社や編集者は不要だともいいますが、そうではないと。

そうです! 当然、推敲(すいこう)されたもの、淘汰された結果が人目に触れるべきものであって。ただそういうことをやってきたはずの人が、今プロデューサーになって、ミュージシャンに文句を言えるような人が育っていないんですね。

──45年前に比べ、難しい時代になりました。

芸能や野球は世相を映す鏡だっていいますけど、長嶋さんのインタビューを読んでたら、今は野球界にもスーパースターがいなくて、まとまらない、と。まさに今の世の中のいびつな感じがいろんな所に出ている。長嶋さんもそういう風に感じてるようでした。

まあ、昔はお茶の間で共通の話題があって、そこから自分の生活へ広がっていったものですが、今はお茶の間なんかないし、スタンダードっていうか、常識がどこにあるんだか分かんない時代ですよ。

──最近、ギターの練習は?

これはね、しないとダメになってきて。昔はそうでもなかったんですけど。今は毎日、それなりに復習しとかないと、ライブの最中に次のコードが頭から飛んじゃったりするんですよね(笑)。まあベニー・グッドマンもあれだけうまいのに、毎日のように練習してたっていうから。Charは「ギターあんまり弾き過ぎると手がつっちゃうんで、それも問題だ」って言ってますよね。僕もそう。年取ると手もつるんです(笑)。

──最後に、今後の夢などを。

普通に生きて病気をしなければ、ひとつの区切りは75か76歳くらいだなと。だから、あと10年ないんですよね。その中で自分に何ができるだろうって、考えてる最中です。でも作りかけの曲もたくさんあるし、パソコンの進化に負けないよう、まだまだ進化していたいですね。

(聞き手/大口克人 撮影/高山 透)

[日経マネー2015年10月号の記事を再構成]

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