廃線の危機何度も 千葉・銚子電鉄に14年ぶり乗車
日暮里・舎人ライナーに乗った前回のロケから、もう1カ月以上経過しました。またか!と思われるかもしれませんが、今回の目的地は千葉県です。ただし、行き先は銚子市。度重なる廃線の危機を乗り越え、走り続けている銚子電鉄に乗るためです。
14年前の2002年に一度取材でお邪魔しました。当時赴任していた香川県高松市で、高松琴平電気鉄道(琴電)が子会社の百貨店の経営破綻を受けて01年12月に民事再生法の適用申請に追い込まれたのです。鉄道会社の経営再建について取材を進めていたところ、鉄道評論家から「銚子電鉄が『ぬれ煎餅』を売って奮闘しているから参考になるのでは」と薦められ、特急「しおさい」に飛び乗って銚子を訪れました。
その後、琴電は様々なサービス改善策を打ち出すとともに、地元企業の支援を受けながら数年で再生を遂げました。一方、銚子電鉄は資金不足による設備の老朽化などで、たびたび運行停止の危機が報じられるなど気になっていたのです。
今回も往復は特急「しおさい」です。前回はクリーム色の車体にえんじ色の帯を巻いた「国鉄色」の183系でしたが、今回はJR東日本が導入した255系です。ただ、高速道路網の整備により、銚子行き「しおさい」、内房線の「さざなみ」など千葉県内を走るJRの特急は本数が減らされるなど存在感が低下しています。
もっとも、この日は自由席に乗客が目立ち、終点銚子駅でかなりの人数が降りました。大きなカメラバッグを抱え、私と同じ「鉄ちゃん」の雰囲気がプンプン漂います。
何だろう?とついていくと、1月29日~31日に成田線佐原~銚子間で運転される蒸気機関車(SL)D51のテスト走行が予定されていたのです。整備を終えたD51が汽笛を鳴らしながら、駅構内を行ったり来たり、そのたびに鉄ちゃんが神経を指先に集中してカシャカシャとシャッターを切ります。
私も千載一遇のチャンスとばかり、ホームをうろうろしながらスマートフォンで撮りました。松本千恵記者やスタッフとの集合時間を失念し、撮影隊長、映像報道部の嘉瀬隆幸デスクからスマホで呼び出しを受けてしまいました。すみませんm( )m。
銚子電鉄の乗り場は改札を通って陸橋を渡りJRのホーム2番線と3番線の先端にあります。おしゃれな待合室の先に薄茶色とピンクの2両編成、元京王電鉄2010系が待っています。2枚窓で先端が尖っている「顔」がかつて流行していた旧国鉄「湘南型」80系を彷彿(ほうふつ)とさせます。もう一つ同じ形式の2両編成が活躍中で、こちらはグリーンと京王時代の塗装をまとい、オールドファンに人気です。
元京王電鉄の2010系は、第二の人生を送っていた伊予鉄道(愛媛県松山市)から譲り受けました。松山港から船で銚子港まで運ばれ、トレーラーで陸送されたそうです。
全線6.4キロ、最高速度は40キロ。終点の外川駅までキャベツ畑が広がる郊外をのんびり走るシーンは映像でぜひお楽しみください。全線を乗り通しても約20分なので、松本記者にうんちくを述べ終える前に外川駅に着いてしまいました。
外川駅は漁港近くの小さな駅。かつて走った車両デハ801が保存されています。以前来たとき乗ったのはこの電車だったはずです。
さて、外川駅といえば……。NHKの連続テレビ小説「澪つくし」のロケ地になりました。駅の外には案内板も掲示され、今でもファンが訪れます。
放送されたのは1985年(昭和60年)。ヒロインは沢口靖子さん、相手役が川野太郎さんなどと松本記者に話しかけたら「私、2歳なので見てませ~ん」。世代間ギャップを痛感しました。
この日(23日土曜日)は雪の予報でしたが、撮影が終了するまで持ちこたえたのはラッキーでした。犬吠埼など銚子市内の観光スポットやグルメ情報などは松本記者が次週、こってり書く予定です。
それにしても年はとりたくないですね。反省会を中座して乗った帰りの特急「しおさい」では意識を失い、東京駅に着いてもぼんやり……。14年前は18時ごろに東京駅に着き、新幹線と瀬戸大橋線を乗り継いで深夜に高松到着。翌日も朝から普通に働いていたというのに……。
(電子編集部 苅谷直政)
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