SPAC「黒蜥蜴」宝石のように輝く三島由紀夫の美文

こんな「黒蜥蜴(くろとかげ)」があったとは! すれからしのシアターゴーアーも思わずビックリ。セリフが神秘的な宝石のように輝き、あやしい光を放つ。打楽器のひそやかな響きが言葉を粒だたせる。静岡県舞台芸術センター(SPAC)の宮城聡演出版は、これまで見たどの「黒蜥蜴」ともかけ離れていたが、一見の価値あり。およそ3時間の個性的舞台である。

名探偵、明智小五郎と冷血の美女、黒蜥蜴が対決する三島由紀夫戯曲の傑作。江戸川乱歩原作の、何度見ても面白い娯楽大作だ。黒蜥蜴の役はくりかえし演じている美輪明宏をはじめ坂東玉三郎や麻実れいで見てきたから、てっきりスターの独壇場と思いこんでいた。その点、SPACの女優たきいみきは無名に近い存在。が、どうしてどうして、イメージの色が初めからついている「大女優」で見るのとは違って、三島の硬質なセリフの魅力がかえって際だつのに驚いた。

終始暗い舞台の左右に上空へ伸びる階段(高田一郎美術)。それ以外にはこれといった装置はなく、ガランとした空間で役者たちは動きを抑制し、時に棒立ちになってセリフを吐く。舞台手前の暗がりにSPACおなじみの打楽器アンサンブル(棚川寛子音楽)。心を不安にさせるような響きが役者の所作以上にセリフの表情をひきだす。三島の人工的な美文をオペラ的なセンスで磨いた音感の世界とでもいえようか。

宝石商の令嬢を誘拐し、東京タワーでまんまと「エジプトの星」という名のダイヤを手に入れた黒蜥蜴は私船で逃走する。宝石を飾り、人間の剥製を秘密の美術館で愛撫(あいぶ)する黒蜥蜴の奇怪さ。その本性を現す第三幕が最高の見せ場となるが、SPAC版はここがいい。暗黒の舞台に光が揺れ、音響とあいまって不気味な夜の感覚をみなぎらせる(沢田祐二照明デザイン)。舞台上方の空間をうまく使い、海の気配に満ちた黒蜥蜴の秘密の城を印象づける。演劇的な面白さをかもしだす明智の変装も緩急が生きて、機敏だ。

敵対する黒蜥蜴と明智の間にいつしか奇妙な愛が芽生えるところからが三島戯曲の本領。相手を破滅させることが最高の愛の形となる転倒した関係は、現実の世界では決して成就しない。この極端なプラトニックラブは卑近な恋情に堕した瞬間、死を運命づけられるのである。観念と現実、美と通俗、相反する価値の闘争が「黒蜥蜴」という特異な劇に底光りを与えている。明智はいつしか観念の森の探偵者となる。

SPAC版は言葉の迷宮を探偵していく面白さがこれまでのどの舞台よりも、はっきり浮きでていた。観念的でありながら、スリリング。辛抱して語るところ、一気に説明していくところ、語りの呼吸が生きているから伴奏音楽の効果も高い。階段の途中で横たわる黒蜥蜴の静かな死は永劫(えいごう)回帰を思わせ、下から見上げる明智の視線と対照をなす。明智役の大高浩一は従来のイメージを裏切る軽業師的な身のこなし。黒蜥蜴がひかれたのは、男の美貌ではなく、観念の城を理解する冷徹な審美眼そのものだったことがよくわかる。

SPACは日本では珍しい劇場専属の劇団である。一昨年、世界の注目を集めるフランスのアビニョン演劇祭で「マハーバーラタ~ナラ王の冒険~」が賛辞を集めた。最小の動きに激しいエネルギーを宿らせ、セリフに異様なパワーを帯びさせる演技術には、テレビドラマとはまったく異なる迫力がある。加えて芸術総監督の宮城聡は人形浄瑠璃、バリの芸能などを探求し、語りの復権を実践している。言葉と人形のフリが別々に表現されるように、SPACでは役者の動きとセリフとの間にズレがしばしば生まれる。こうした特異な表現が、三島の美文と役者との化学反応を先鋭化させたのだろう。

三島戯曲の他の傑作、たとえば「サド侯爵夫人」や「わが友ヒットラー」にも、観念(美)と現実(美の否定)の対決という主題が埋め込まれている。自衛隊の決起をうながし、自決した三島の死はいまだ謎だが、残されたドラマを見るにつけ観念の側に立って死を選んだ姿が思い返される。それを思い出させることこそ、三島の最高の演劇的しかけだったのではないか。

(編集委員 内田洋一)

1月16日所見。今後は1月23、24、31日、2月6、7日に上演。静岡県の東静岡駅前にある静岡芸術劇場。