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わたしの投資論

「暗黒の月曜日」で学んだ運用の極意(藤田勉)

2016/1/14

シティグループ証券取締役副会長の藤田勉氏。著名ストラテジストとして知られるが、実は国内外で10年以上のファンドマネジャー歴を持つ。運用人生の始まりは1987年のニューヨーク。直後に歴史的な相場暴落「ブラックマンデー」(暗黒の月曜日)に遭遇した。藤田氏はその衝撃的な体験から「運用には歴史観が大事」との極意を学んだという。
藤田勉(ふじた・つとむ)氏 1960年山口県生まれ。82年上智大学外国語学部英語学科卒業。2010年一橋大学大学院博士課程修了、経営法博士。上智大卒業後、82年に山一証券入社。83年山一投資顧問に出向、85年ニューヨークの山一キャピタルマネジメント。90年帰国。97年メリルリンチ投信投資顧問(社名はいずれも当時)。00年日興ソロモン・スミス・バーニー証券(現シティグループ証券)に日本株ストラテジストとして入社。10年まで日経ヴェリタス人気アナリストランキング日本株ストラテジスト部門5年連続1位。10年からシティグループ証券取締役副会長。内閣官房 経済部市場動向研究会委員、経済産業省企業価値研究会委員、早稲田大学商学部講師などを歴任。近著に「最強通貨ドル時代の投資術」(平凡社新書)「ギリシャ危機後のマネー経済入門」(毎日新聞出版)など

■ボストンで運用の勉強、「ノンプロからメジャーリーグへ」

ファンドマネジャーとしての出発は80年代後半のアメリカです。大学卒業後、82年に山一証券(当時)に入社し、1年後に山一投資顧問(同)に出向しました。東京の企画調査部で運用の報告書や資料づくりをしていましたが、85年にニューヨークの山一キャピタルマネジメント(同)に転勤になりました。

ファンドマネジャーの仕事をするにあたり、86年から87年までボストンの独立系運用会社、ウェリントン・マネージメントにトレーニーとして派遣されました。運用業務を勉強しながら、アメリカのCFA(公認ファイナンシャル・アナリスト)の資格を取るのが目的でした。

ウェリントンは運用の世界で名門中の名門というすばらしい会社です。スタッフはアメリカの名だたる大学でMBA(経営学修士号)を取得するなど、学歴も人間性も優れた人たちばかりでした。わたしはグローバル運用部門に配属され、主に日本株のアナリストをしました。

多くを学びました。当時のわたしは野球でたとえるならノンプロから突然メジャーリーグに放り込まれたようなもの。アメリカのファンドマネジャーのプロ意識は高く、地位も高いのにビックリしました。

ウェリントンは独立系なのでプロ意識の高さはなおさらです。日本ではいまだに大手の系列が多いと思いますが、運用成績が振るわないと別の部署に異動させたりします。アメリカでは即刻クビになります。

■87年、NYで運用人生スタート、直後に「暗黒の月曜日」

87年にボストンからニューヨークに戻り、その年の10月1日からファンドマネジャーとしてスタートを切りました。27歳でした。当時ニューヨークの山一キャピタルマネジメントではアメリカ人の大物ファンドマネジャーを雇い、新しい運用チームを発足させたのです。ファンドマネジャーの給与は何億とか、山一証券本体の社長、会長よりもはるかに高いといわれていました。わたしはその人に指示を受け、アメリカ株を売買してポートフォリオをつくりました。

アメリカ株は87年まではすごく調子がよかった。ドル高是正を目的とした85年のプラザ合意後に株価は大きく上がりました。高すぎるかなという感じはありましたが、高いときって今もそうですけれどみんな強気なことをいいます。わたしもそんなものかなと思っていました。

ところが、たった半月で歴史的な相場暴落に遭遇しました。87年10月19日の「ブラックマンデー」です。1日でダウ工業株30種平均が23%下げ、史上最大の下落率を記録しました。たった1日で2割も株価が下がるということは世の中がひっくり返るぐらいの衝撃でした。2008年のリーマン・ショックなどはかわいいものです。

そのとき、高給でスカウトしてきたファンドマネジャーの目がうつろになり、わなわな震えていました。何をどうしていいか分からないから指示を出してくれといっても、うろたえるばかりでまともな返事はない。本当に大変なことになったと思い、運用はとても怖いなとも感じました。それがファンドマネジャーの原体験です。

相場はしばらく調整し、厳しい状況が続きました。大きく下げるたびに東京からニューヨークに夜中電話がかかってきます。「何でこんな下がっているんだ」と。お客さんからせかされて興奮するのは仕方ありませんが、そんなこといわれたってこちらも分かりません。不眠症になりましたよ。

■日本でもバブル崩壊経験、「運用は歴史観が大切」を学ぶ

90年に日本に帰国してからはバブルが崩壊。株神話とか土地神話も崩れ、銀行が倒産しませんといっていたのが全否定されたのがこの90年代です。歴史の大きな転換点で、非常に苦労した時代でした。

もっとも、アメリカのブラックマンデーや日本のバブル崩壊を経験したのはいま振り返ってみるとすごくいい経験でした。運用では歴史が大事だなというのを学んだからです。ブラックマンデー、ブラックマンデーと騒いでいましたが、比較されたのが大恐慌につながった1929年の「ブラックサーズデー」(暗黒の木曜日)。当時も(1)好景気(2)低インフレ(3)低金利――というカネ余りによるバブル発生の条件がそろっており、危機が起きる下地になったと思います。

歴史を振り返ると、バブルの前にはいずれも危機が起きていることが分かります。たとえば日本のバブルには85年のプラザ合意による円高と87年のブラックマンデーがあります。88年当時の日本の経済成長率は7.1%と高かったのですが、歴史的な円高と世界的な株安で日銀は当時史上最低だった公定歩合を据え置きました。その結果、株価と地価が急騰したのです。

運用では相場にどっぷりつかってはダメだということです。つまり、目先のこまごまとしたことではなく、全体を見るということです。一生懸命木を見ていても、森全体は見えません。相場はどーんと上がったり、どーんと下がったりしますが、歴史的な観点から相場がいまどの局面にあるのかということを冷静に考えて運用するということです。この考え方は00年にストラテジストに転じてからも役立ちました。

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