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舞台・演劇

俳優座「城塞」 高度成長期の日本人の精神的葛藤

2016/1/14

小説家として高名だった安部公房は劇作家としても活躍した。が、その戯曲は三島由紀夫ほど顧みられない。三島戯曲はまだしも娯楽性があるが、安部となるとかたいセリフと観念的な内容がいっそう際だつからか。ゆかりの深い老舗劇団がこれに挑んでいるのは、今どき貴重な試みである。

作品は1962年初演の「城塞」で、演出は1975年生まれの劇団の新鋭、真鍋卓嗣。60年安保の闘争が終わり、1964年の東京五輪に向かうころ、日本人は戦争体験を踏まえ、どう生きるべきか真剣に悩んだ。高度成長時代の経済至上主義におおわれる前の日本では、劇作家たちが考えるための素材として喜劇を発表した時代である。

軍部と結託して成り上がった実業家の豪邸を舞台にした密室劇。ベテラン中野誠也が演じる父と息子(斎藤隆介)が深刻な相談をしている。今いる満州にソ連軍が攻め込んでくるから、特権を利用して逃げ出そうというのである。切符は2席分しかないから、娘は置いていけと父親は無慈悲に宣告する。その横暴さ、切迫感を老耄(ろうもう)の気配の中でにじませた中野の演技が見事だ。

が、ドラマは意外な展開に。父親は時間が止まったままの「拒絶症」なる精神疾患にかかっているらしい。どんでん返しの趣向を盛り込んだ喜劇の体裁をとっているが、作家がとらえているのは戦争に加担した横暴な父親世代の崩壊なのだ。息子はその欺瞞(ぎまん)や非情さを暴きたてるが、その正義も揺らいで……という話。

場違いなストリッパーが空気をかきまわし、悪意がドラマを展開させる。奇妙な感情の連鎖が面白いが、こんなセリフを吐くかしら、と思わせるほど言葉遣いがかたい。それだけに演出はもっと喜劇よりに、もっと小気味よく運びたい。とはいえ、これが労作であることはやはり疑いない。

中央の大きなドアを巧みに使い、向こう側にある異世界の圧迫感を象徴させる室内劇ならではの手法が巧みだ。丹念にセリフを彫り上げ、戦後の分岐点にあった日本人の精神的葛藤を浮かび上がらせる。息子世代の皮肉な転回は、日本人の来し方をいやおうなく考えさせる。そこをはっきりとらえた演出家のまなざしをたたえよう。中野の柔らかくも無残さを印象づける演技によって、観念劇に血が通ったのも大きい。

初演は成功とはいえなかったらしい。安部より年少の別役実が厳しく批判したように、安部戯曲は娯楽劇としては文学臭さが鼻につく面がある。けれど、当時の戯曲は木下順二にしろ福田恆存にしろ、大概そんなふうだ。戦争の傷はまだいえず、日本人は実に真面目だった。テレビドラマの風俗劇を見慣れた観客には素朴な驚きがあるだろう。それだけでも上演意義はあるというものだ。中野のほかでは残酷な性格をもつ息子の妻を演じた清水直子が出色。

戦後戯曲の再発見ということでは、奇才ケラリーノ・サンドロヴィッチが面白い成果を挙げている。真鍋卓嗣には、老舗劇団にしみこんだ生真面目さを吹き払うような、大胆な力技を発揮してほしい。注目の演出家であればこそ。1月17日まで、東京・シアタートラム。

(編集委員 内田洋一)

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