「時代劇」の舞台は、なぜ江戸時代ばかりなのか

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年末年始のテレビ特別番組の季節が始まった。この時期の特番といえば時代劇だろう。ところで「時代劇」といえばどの時代をイメージするだろうか。辞書には「江戸時代またはそれ以前の武家時代を題材とした演劇や映画」(明鏡国語辞典)などと載っているが、実際流れる番組は江戸時代がほとんどだ。「時代」そのものは特定の時期を示す言葉ではないが、「時代劇」になるとなぜ江戸時代が多くなるのか。

「忠臣蔵」「水戸黄門」「大岡越前」――代表的な時代劇を思い浮かべるとほとんどが江戸時代。「太平記」など江戸時代以前を舞台にした有名な時代劇もあるが、実際NHKが現在放映している「木曜時代劇」シリーズはすべて江戸時代が設定だし、年末年始の各テレビ局の時代劇作品は江戸時代を舞台にしたものが圧倒的に多い。

初めて「時代劇」と呼ばれた「清水の次郎長」

なぜここまで江戸時代が多いのか。その理由を探るため、まずは「時代劇」誕生の歴史を振り返ってみよう。「時代劇」という言葉が初めて使われたのは、松竹蒲田撮影所で製作された「清水の次郎長」(1922年公開)とされている。この作品を監督した野村芳亭は「自分は映画に現れる在来の旧劇に、より不満を抱いていた。その舞台劇の延長ともみられるべき映画の旧劇は必ず革新の余地あるものと考えていた。自分は、苦心の結果、革新した旧劇、すなわち映画劇として、これにいわゆる『時代劇』の名を付し、第1回の試作『清水の次郎長』を公開した」(「蒲田」1924年1月)と述べている。

旧劇とは、旧派とも呼ばれる過去を題材にした作品のことで、当時の現代劇である「新派」に対応している。時代劇が登場する前から作られており、歌舞伎の影響を強く受けているのが特徴だ。「清水の次郎長」は、歌舞伎の演技をそのまま映像にしたかのような旧劇を革新し、西洋の映画のよりリアルな描き方に近づけようとして製作された。そのため旧劇とは違う新しい映画として「時代劇」という名前がつけられた、ということのようだ。

「清水の次郎長」の一場面。新しい手法で描かれたこの作品は「時代劇」と名付けられた(雑誌「蒲田」の表紙より)
雑誌「蒲田」に掲載された「清水の次郎長」の広告。「新時代劇」という表記も使用された

では「時代」という言葉の由来は何だろうか。映画史が専門の早稲田大学・小松弘教授は「(歌舞伎の)時代物という言葉からきているのだろう」と語る。歌舞伎には当時の現代劇にあたる「世話物」と、過去を舞台にした「時代物」の2つの分類がある。「時代劇」はそもそも歌舞伎の流れをくんでいることからも「時代物」という言葉と深い関わりがあるようだ。

その後も松竹では「女と海賊」、「村井長庵」など「時代劇」と銘打った作品が作られていった。こうして松竹で生まれた「時代劇」は、次第に他社でも製作されるようになり、ジャンル名として広まった。

過去を題材にする作品はなにも「時代劇」だけではない。似た言葉に「歴史劇」というものもある。黒沢明監督「影武者」、溝口健二監督「元禄忠臣蔵」などは歴史劇と呼ばれている。両者の違いは「歴史劇だと時代劇よりも時代考証をより厳密にやろうという意識になる」(NHKドラマ番組部シニア・ディレクターで考証担当の大森洋平氏)という説や、「時代劇はスーパーヒーローが住む『どこか』の物語、歴史劇は過去の時空間のなかに歴史上の人物を描いた物語」(神戸映画保存ネットワークの研究員・羽鳥隆英氏)という意見がある。NHKの大河ドラマは「当然、時代劇の部類に入る」(大森氏)としているが、彼らも時代劇と歴史劇を厳密には区別していないという。

そもそも「歴史」という言葉は、江戸時代でも一部では使われていたが、「明治維新後に、historyの訳語として定着したことが、(歴史という言葉の)一般化に一役買ったのではないか」(日本語学が専門の早稲田大学・笹原宏之教授)といわれるように、西洋近代の学問と近しい言葉のようだ。

歌舞伎の「時代物」がルーツ?

一方、時代劇の「時代」は歌舞伎の「時代物」と関わりが深い。「江戸時代には『時代浄瑠璃』『時代狂言』などの言葉もあり、芝居の世界では『世話』に対立する概念として『時代』という言葉が確立していたようだ。芝居を見る人々も、(『時代』に対して)そうした語感を持っていたと思われる」と笹原氏は語る。「時代」という言葉は芝居の世界では江戸時代からよく使われており、「歴史」よりも大衆娯楽になじみの深い言葉だったようだ。

従来の旧劇とは違う新しい映画を目指した時代劇だが、なぜ舞台設定は「江戸時代」に集中してしまったのだろうか。大きな理由としては時代劇の「お約束」とも呼べる「勧善懲悪」を際立たせるためのようだ。

「江戸時代の刀を持っていた武士に対する反感が庶民には残っていて、そこにより強いヒーロー武士が登場して悪い武士をたたく、という勧善懲悪の構図は受け入れられやすかったと考えられる」と話すのはNHK大河ドラマなどで時代考証を担当する東京学芸大学の大石学教授。江戸時代といえば兵農分離が行きわたった時代で、それ以前となると武士も庶民も武器を持っており、「勧善懲悪を成立させるほど武士が威張れなかったのではないか」(大石氏)という。

戦国時代を舞台にすると、合戦シーンの撮影にお金がかかる

もう一つ、見逃せない理由が作りやすさだ。戦国時代などはどうしても見せ場である合戦シーンが必要になり、人手やお金がかかる。平和な江戸時代ならば「チャンバラがそれほど大規模にならなくて済む」(羽鳥氏)というメリットがある。さらに、江戸時代は遠すぎない過去、というのもポイントのようだ。時代劇は誕生の際、旧劇を革新してリアルさを求めた。そのためには当時のことを知る人が多い「ひとつ前の時代が作りやすかった」(大石氏)というのも大切な要素だった。確かに大森氏は「江戸時代は演技の仕方、衣装、セット、原作本などのノウハウが他の時代に比べて圧倒的に蓄積されているため作りやすい」と断言する。

近すぎず遠すぎない江戸時代。だからこそ、現代の私たちでも共感しやすい人々の日常を表現できる一方で、複雑な現代社会では成立しえない勧善懲悪を自由に描くこともできるのだろう。史実に即したリアルさと、架空の物語としての楽しさ。両者のバランスを意識しながら、年末年始の時代劇を楽しんでみてはいかがだろう。

(藤村絢子)