歌川国芳 江戸後期の「マルチ絵師」の魅力を美術展で

浮世絵が内外で注目を集めている。江戸時代後期の“奇想の天才絵師”として葛飾北斎に並ぶ人気を誇るのが歌川国芳(1797~1861)だ。彼は浮世絵界きってのマルチプレーヤーでもあった。武者も猫も役者も、化け物さえも、その手にかかれば生き生きと魅力的。2016年に開催されるいくつかの美術展で、江戸の老若男女が熱中したその魅力に触れることができる。
六様性国芳自慢先負文覚上人(1860年、悳俊彦コレクション)

国芳は町人文化が開花した江戸時代末期にその名をとどろかせた。「彼の持ち味は描くジャンルの幅広さ。しかも、どのジャンルも完成度が高く、表現方法も独自性に富んでいた。だからこそ老若男女がその絵に熱中したのです」――。16年2月から「国芳イズム─歌川国芳とその系脈」を開く練馬区立美術館(東京・練馬、今回掲載作品はすべて同展から)の学芸員、加藤陽介さんは言う。

国芳でまず思い浮かぶジャンルは武者や勇者、アウトローなど時代を彩る「ヒーロー」だ。

10代で歌川豊国に入門するもヒットに恵まれなかった国芳。琳派や勝川派などにも学んだとされ、自らの作風を打ち立てた後、「水滸伝」の勇者を描いて30代で大ブレイクした。加藤さんは「たくましい肉体と鋭い眼光、絵を見る者に向けて弓を構えるなど劇画的な構図に人々は拍手喝采。一躍、“武者絵の国芳”と呼ばれるまでになりました」と説明する。

「六様性国芳自慢先負文覚上人」の滝に打たれて水が四方に飛び散るさまや、「誠忠義士伝間瀬宙太夫正明」の正面を見据えて弓を構える姿は今見ても格好いい。勇者が主役の武者絵は浮世絵では傍流だったが、国芳以降は人気の画題になった。

根っから動物好きだった国芳は、猫やスズメ、金魚などを擬人化した動物画でも人気を博した。「世の中の流れを読む力にたけていました。当時は女性も購買力を得た時代。それを見て取り、女性や子供が好むかわいいテーマも意識的に描いたのです」(同)。サッカーのリフティングのように、まりで曲芸をする猫たちを描く「流行 猫の曲手まり」。これほどほほ笑ましい動物の絵を描き残した浮世絵師はほかにいない。

流行 猫の曲手まり(1841年頃、悳俊彦コレクション)
相馬の古内裏に将門の姫君滝夜叉妖術を以て味方を集むる 大宅太郎光国妖怪を試さんと爰に来り竟に是を亡ぼす(相馬の古内裏)(1844年~48年ごろ、悳俊彦コレクション)

荷宝蔵壁のむだ書(1847年頃、悳俊彦コレクション)

持ち前の描写力を生かした緻密な化け物絵もお手のもの。暗闇から現れた骸骨を描く「相馬の古内裏」は山東京伝の読本に取材。巨大な骸骨は同時代の挿絵本の非科学的な挿絵とは比べものにならないリアルさだ。「国芳が西洋画を熱心に研究していたことは近年の調査で明らか。正確な骨格で画面に迫力を与えようと、西洋の解剖図を手本にした可能性もある」(同)。

ユーモラスな戯画でも人々を沸かせた。戯画とは滑稽絵のことで、幕府の禁制を逃れる格好の方便にもなった。華美な生活を助長すると役者絵に発せられた禁令を逆手にとり、壁の落書き風に稚拙に、いかにも素人っぽく描いた「荷宝蔵壁のむだ書」など、アイデアあふれる戯画を生み出したのだ。

“三枚続”と呼ばれる通常の3倍サイズの絵で群像表現を追求した絵師でもある。吉原のにぎわいを遊女と客に見立てたスズメの群像図で表現した「里すゞめねぐらの仮宿」は、楽しげな表情、1着ずつ描き分けられた着物の柄にも思わず見入る。

里すゞめねぐらの仮宿(1846年、悳俊彦コレクション)

それまでの三枚続の多くは1枚ずつでも買えるよう異なる3つの絵で構成していた。国芳はそれを大胆に覆し、1つの画題を3枚にわたり展開した。「テーマが何であれ、群像を構成する一人ひとりの表情、動き、着物の模様などを驚くほど丁寧に描き分け、画面に躍動感を与えた。一部を切り取っても作品になるほど完成度が高く、見る者をワクワクさせます」(同)。

ヒーロー、動物、化け物などを大画面いっぱいに活写した群像図は国芳の真骨頂。その作品世界を存分に堪能したい。

(日経おとなのOFF2016年1月号の記事を再構成、文/籏智優子)

[日本経済新聞夕刊2015年12月12日付]

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