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睡眠

宇宙旅行の時代が到来、あなたの睡眠はどうなる

日経ナショナル ジオグラフィック社

2015/12/29

ナショナルジオグラフィック日本版

映画「猿の惑星」シリーズをご存知だろうか。最初の作品(1968年)では知らぬ間に地球に舞い戻ってしまった宇宙船の中で、船長テイラー(チャールトン・ヘストン)はじめ乗務員は人工冬眠装置で長期間にわたり眠り続けるという設定になっていた。唯一人の女性宇宙飛行士は装置の不具合で映画の出だしからミイラになるという不運に見舞われた。

人工冬眠は数多くのSF映画や小説でも取り入れられている。なにせ恒星間飛行など外宇宙への旅行は長丁場である。狭い空間で楽しみも少なく、同じメンツで長期間過ごしているのは精神衛生上もよろしくない。トラブルの元であるので寝るに限る。

一方、太陽系内の宇宙旅行ではもう少し身近な睡眠問題がテーマになる。不眠、睡眠不足、リズム障害である。1961年から始まった有人宇宙飛行以来、宇宙飛行経験者は現在までに約500人おり、その大部分が微小重力環境での睡眠を経験している。そして実に多くの宇宙飛行士が眠りに悩んでいる。

最近では幾つもの民間宇宙飛行会社が台頭してきて、一般人でも「無理をすれば手が届く」金額で短期間の宇宙旅行ができる時代がすぐソコまで来ているようだ。宇宙飛行士が経験した睡眠問題をもしかしたら私たち自身も経験するかもしれない。少なくとも子供や孫が社会人として活躍する頃には宇宙旅行は決して一部の特殊な人々のものではなくなっている可能性が高い。

そこで今回は少し先取りして宇宙旅行の際に注意すべき睡眠問題について紹介したい。

(イラスト:三島由美子)

最初に宇宙空間での眠りをレポートしたのはボストーク2号(Vostok2)で軌道上を約1日飛行したソビエト連邦(当時)の宇宙飛行士ゲルマン・チトフ、25歳である。1961年8月6日、バイコヌール宇宙基地から飛び立ち、軌道に入るとめまい、吐き気、頭痛などの宇宙酔いの症状に悩まされたものの、15:30から23:37(協定世界時UTC)までの8時間7分にわたり眠っている。「すばらしい眠りだった。浮遊感の中、赤ちゃんのようにぐっすり眠った」と答えたとされているが、覚醒時の気分は不良であったというのでちょっとやせ我慢の回答だったのかもしれない。

実際には多くの宇宙飛行士(クルー)が不眠で悩んでいる。1999年に発表されたNASAの資料によればミッション中の60%~70%の夜でクルーが不眠を経験している。実際、睡眠薬はシャトル内でもよく使われていた。クルーの4人中3人が何らかの睡眠薬(フルラゼパム、トリアゾラム、ジフェンヒドラミンなど)を服用し、その服用頻度たるや全ミッションの50%の夜に達している。

クルーは精神的にも肉体的にも選び抜かれたエリート集団であるが、その彼ら彼女らにしても宇宙空間という特殊環境の中では安眠もままならない。クルーの業務は過密である。分刻みで組まれた多忙な作業により平均で6.5時間を下回るほどの短時間睡眠を強いられる。その分、質の良い睡眠を確保しなくてはならないのだがそれが実に難しいのだ。

精神的緊張やストレス、カプセルホテル並みの狭い就寝スペースや換気ファンの騒音、宇宙酔いなどによる不快感などによって睡眠の質はどうしても悪くなる。また、体液シフト(微小重力のため体液が上半身に溜まりやすい)によって脳の血流量も変化するため、睡眠や覚醒調節をはじめ脳機能にまだ未解明のさまざまな影響をもたらしていると考えられている。実際、クルーの睡眠構造を調べると、中途覚醒が増えたり深睡眠が減少するなどの変化が認められる。

また、宇宙空間におけるやっかいな問題として生体リズムの脱同調がある。脱同調はこのコラムでは何回か登場した用語だが、睡眠時間帯とそれを支える生体機能リズム(ホルモンや自律神経リズム)が相互に正しい時間関係からずれてしまう現象をさす。平たく言えば、宇宙空間では時差ボケが生じやすいということである。時差ボケでは当然ながら睡眠の質は悪くなる。

■「毎朝」平均30分ずつ早起きするシフトの結果…

(C)PIXTA

宇宙空間では脱同調の原因には事欠かない。低照度環境、90分周期の明暗サイクルのほか、後で紹介するようにスペースシャトルミッション内では特殊なシフトスケジュールが採用されていたことなどである。

第一に、シャトル内の独特な光環境が体内時計を不安定にさせる。たとえばスペースシャトルは地球一周を90分で回っているため、大きな窓のあるフライトデッキでは90分ごとに太陽光が差し込む(最高で8万ルクス)。一方、ミッドデッキやスペースラブ(実験ユニット)では常に低照度(93~171ルクス)であった。90分周期の強すぎる光も、弱すぎる室内光も、サーカディアンリズム(約24時間周期のリズム)の調整には役立たないばかりかかく乱要因になる。

また、スペースシャトルのミッションでは打ち上げ時刻に対して着陸時刻を相対的に4~5時間早める必要があったため、多くのミッションでは、シャトル内でのクルーの睡眠スケジュール周期は23時間20分~40分に設定されていた。要するに、“毎朝”平均30分早起きを続けなくてはならなかったのである。

これを読んだだけでも本コラムの読者は「大変だな」とお気づきのことと思う。人の体内時計周期は平均で24時間10分、短い人でも限りなく24時間に近い23時間台後半である。30分も早寝早起きを続けるのは大きな困難を伴う。早起きはむりやりできても早寝ができないのでは睡眠不足になる。そこで寝つきをよくするため睡眠薬に頼るクルーが続出するわけだが、睡眠薬は脱同調を根本的に解決してはくれない。

このように短期間の宇宙空間でのミッションではクルーの睡眠を妨げるさまざまな悪条件が重なっているのである。

スペースシャトルでのミッション中の睡眠スケジュール(Dijkら(2001)のデータから作成)。左はスケジュール、右は腕時計型の活動量計で測定した睡眠リズム。赤丸はシャトルの発射と帰還の時刻。時刻は中部標準時(CDT)とグリニッジ標準時(GMT)で示されている。活動リズムを見ると覚醒時刻は毎日30分ずつ規則正しく前倒しされているが、寝つく時刻は不安定で苦労している様が読み取れる

■宇宙に長期滞在したときの睡眠への影響は?

では、国際宇宙ステーション(ISS)や宇宙ステーション「ミール」で長期間にわたり宇宙空間でのミッションをこなすクルーの睡眠はどうであろうか。これもまた問題が山積している。

ISS内では電話ボックスくらいの大きさの箱型ベッドで寝袋に入って睡眠をとる。空気を循環させるファンやパソコン用の電源とデータ回線も装備されているため狭いほかに騒音がある。就床時間は形式的にはグリニッジ標準時で21時30分~6時にかけて8時間半確保されているのだが、先にも書いたようにクルーの勤務状況は過酷であるためフルに睡眠時間を確保できることは少ない。

また、長期滞在時にも体内時計の調節障害が生じる危険性が報告されている。

たとえば、ミールに4カ月間滞在中であった42歳の男性クルーの深部体温リズムは、滞在時間が長期になるに従って24時間周期のリズム性が弱まり、また1日の体温の変動幅(振幅)が小さくなるなど脱同調の兆候が出現したと報告されている。同時に睡眠の質や業務時間中のパフォーマンスの低下も認められたという。

宇宙空間に長期滞在した際に生じる睡眠・生体リズム問題についてはまだデータが少ない。現在もクルーを対象にした調査研究が行われているので、いずれその実態が明らかにされるだろう。

ISSにとどまらず、今後、火星をはじめ地球以外の惑星へ飛行したり居住したりする時代が来ることは間違いない。人が宇宙空間の環境に生理的に適応し得るのか、健康に生活し得るのか、すでに真剣な検討が始まっている。例えば、光やメラトニンを用いて人の体内時計周期を火星の自転周期(24.6時間)に適応させるためのシミュレーション研究なども実施されている。

JAXA(宇宙航空研究開発機構)はISSについてしばしば「極限環境を有したテストベッド」だと表現する。宇宙空間という厳しい環境における医学研究の成果は地球上に住む人々の健康管理に還元できるという意味である。クルーの睡眠や生体リズム調節に関する知見もまた時差ボケや不眠治療に生かすことができる日がくるだろう。

(イラスト:三島由美子)
三島和夫(みしま・かずお)
1963年、秋田県生まれ。医学博士。国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所精神生理研究部部長。1987年、秋田大学医学部医学科卒業。同大精神科学講座講師、同助教授、2002年米国バージニア大学時間生物学研究センター研究員、米国スタンフォード大学医学部睡眠研究センター客員准教授を経て、2006年6月より現職。日本睡眠学会理事、日本時間生物学会理事、日本生物学的精神医学会評議員、JAXAの宇宙医学研究シナリオワーキンググループ委員なども務めている。これまで睡眠薬の臨床試験ガイドライン、同適正使用と休薬ガイドライン、睡眠障害の病態研究などに関する厚生労働省研究班の主任研究者を歴任。『8時間睡眠のウソ。日本人の眠り、8つの新常識』(川端裕人氏と共著、日経BP社)、『睡眠薬の適正使用・休薬ガイドライン』(編著、じほう)などの著書がある。

(日経ナショナル ジオグラフィック社)

[Webナショジオ 2015年11月12日付の記事を再構成]

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著者:三島 和夫
出版:日経ナショナルジオグラフィック社
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