「熟」の音楽を堪能 師走に酔いしれるCD&ワイン

そろそろ今年を象徴する漢字が話題になるころだ。クラシック音楽のCDでは今シーズン、日本人演奏家の円熟を象徴する新譜が相次いだ。敬意をこめて、「熟」の一文字をささげよう。師走の忙しい日々に一瞬の谷間をみつけ、音楽に合ったワインを選び、熟した響きに酔いしれる時間は貴重である。クリスマスに向けて、おすすめのCD4点を挙げ、それぞれにふさわしいワインの組み合わせ(マリアージュ)を考えてみる。

ドイツの詩と音楽のからみを絶妙に再現する内田光子

トップバッターはピアニストの内田光子。外交官の家庭に育ち、早くから国外に身を置いたコスモポリタンで、もはや「日本人演奏家」のレッテルは必要ない。ニューヨークのカーネギーホール、アムステルダムのコンセルトヘボウ、ザルツブルク祝祭劇場など世界の一流ホールや音楽祭が主催するピアノ公演の常連であり、評価は巨匠級といってよい。

今年の日本ツアーでは演奏時間1時間を要するベートーヴェンの大作、「ディアベッリのワルツの主題による33の変奏曲」作品120をメーンに置き、前半にシューベルトの「4つの即興曲」の作品90、142を日替わりで組み合わせた。11月10日、東京・サントリーホールは作品90。第1番ハ短調の最初の和音が打鍵された瞬間、天から何かが「下りてきた」ように感じた。聴き慣れた名曲の、いつもと同じ旋律には違いないが、内田はシューベルトを画家のゴッホ、彫刻家のリーメンシュナイダーと並ぶ「私の3人の神様」の1人に挙げるだけに、作曲家と演奏家の魂が直接ふれあい、聴衆も一つの大きな世界に取り込まれていく。

一瞬のたるみもなく、33の変奏曲を鮮やかに弾き分けた内田光子(2015年11月10日、サントリーホール。写真提供=サントリーホール)

休憩後に皇后陛下をお迎えし、張り詰めた空気の中で奏でられた「ディアベッリ」変奏曲はいっそう、見事なできばえだった。個々の変奏の隅々まで内田独自の解釈を施しながら、そこに少しも作為を感じさせず、あたかもベートーヴェン自身の肉声に触れているかのような錯覚に浸る時間が60分あまり。全く緊張が途切れることなく続いたのは驚きだった。ひたすら作品の世界に沈潜する姿勢に、真の円熟を実感した聴き手は多かった。

ツアーと前後して出た新譜、ドイツの名ソプラノ歌手であるドロテア・レシュマンと組んだリート(歌曲)のアルバム(デッカ=ユニバーサル)でも内田のピアノは際立つ。19世紀半ばのシューマンによる二つの連作歌曲集、「リーダークライス」と「女の愛と生涯」の間に20世紀初頭のベルクの「初期の7つの歌」をはさんだ選曲自体、非常に洗練されたセンスといえる。内田のピアノはドイツ語テキストの単語、それに作曲家が与えた音符の一つ一つに鋭く反応し、レシュマンの「歌い語り」に大きな音楽のじゅうたんを用意する。今年5月2、5日、ロンドン・ウィグモアホールのライブ録音ということで、歌からのフィードバックに対するピアノの反応も申し分ない。繰り返し聴くに値する1枚だ。

《おすすめのワイン》ボックスボイテル(ヤギの陰のうを意味する袋型の瓶)と呼ばれる、独特のボトルに収まったドイツ・フランケン地方の白。シルヴァーナー種の辛口(トロッケン)がいい。内田があがめるリーメンシュナイダーが1520年代に市長を務め、今は「ロマンチック街道」の起点として日本でも知られる街、バイエルン州ビュルツブルク市の名産でもある。

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脇目をふらない五嶋みどりのバッハ無伴奏

2人目は、欧米では「MIDORI」の表記で親しまれているヴァイオリニストの五嶋みどり。2014年はサントリーホールが複数の主催公演を通じて1人のアーティストの実像を浮き彫りにする「スペシャルステージ」に登場し、リサイタルや協奏曲のほか、高齢者向けの昼公演、マスタークラスなどで多彩な顔をみせた。

地味ないでたちで、特別支援学級の子どもたちのアンサンブルに溶け込んだ五嶋みどり(左端=2014年10月10日、サントリーホール。写真提供=サントリーホール)

中でも昨年10月10日、一晩で協奏曲3曲を弾くヘビーな本番の前にもかかわらず、かねて若手の指導者を派遣してきた特別支援学級・学校の生徒の演奏を紹介した場面は、いまの五嶋の真骨頂だった。黒ずくめの地味な服でアンサンブルの端に座り、黙々と弾く姿に強い感銘を受けた。

1980年、11歳でズービン・メータ指揮ニューヨーク・フィルハーモニックと共演してデビューして以来、天才少女の名を欲しいままにして世界を制覇。いく度かのスランプも乗り越えながら早くに社会活動へ目覚め、日本でも認定NPO(非営利法人)の「ミュージック・シェアリング」を主宰してきた。あこがれのサントリーホールのステージに立ち、懸命に演奏した子どもたちにとって、MIDORIは偉大な音楽の母であるに違いない。

若いころはパガニーニ、チャイコフスキーなどの技巧的な作品を鮮やかに弾く姿を称賛されたが、40代に入ってからはドイツ近代の作曲家であるヒンデミットの録音で「グラミー賞」をとるなど、かなり渋い芸風に転じている。今秋は2年前の8月、ケルンの西部ドイツ放送協会(WDR)で録音したJ・S・バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」全6曲の2枚組CD(英ONYX=輸入販売元は東京エムプラス)が日本でも発売された。「音楽の父」と呼ばれる、大バッハの傑作に初めて挑んだ意欲作。

快刀乱麻の言葉が皮相に響くくらいに真剣で、バッハの神髄を突く演奏だ。なぜか三島由紀夫の小説「剣」(1963年)の主人公、清らかな微笑とともに剣道を極める青年の国分次郎を思い出した。映画では、市川雷蔵が演じていた。今どきこれほど脇目をふらず、バッハを一心に弾き続ける演奏家はまれである。

五嶋が公開の場でピリオド(作曲当時の仕様の)楽器を弾くことはない。だが1980年代に欧州から米国へ広がったHIP(歴史的情報に基づく演奏)の考え方や、楽譜の「あいまいさ」を即興に生かすピリオド楽器奏者のアプローチには影響を受け、「とりわけ自由さにひかれた」という。楽曲を構成する舞曲それぞれのリズムの扱い、文章の句読点に相当するアーティキュレーション(分節法)にピリオド奏法の影響がみられるものの、基本は日本の静謐(せいひつ)な精神世界の広がりを感じさせる孤高のアプローチといえる。

《おすすめのワイン》西洋音楽と同じ時期に欧州から導入して140年あまり。日本のワインはこのところ、国際品評会でも躍進が著しい。中でも山梨県特産の甲州種を使い、沈殿したオリの上で一冬寝かせる「シュール・リー」製法で辛口に仕上げた白ワインにはもはや、伝統の重みすらある。引き締まった味わいは、MIDORIの和魂洋才に通じる。

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スイーツ大好きの大谷康子は「お菓子な名曲サロン」

世界を舞台にしたコスモポリタンの内田光子、五嶋みどりに対し、次に挙げる男女2人は日本を代表するオーケストラのコンサートマスターとして、内部の守りを固めてきた。まずは東京交響楽団コンサートマスターを長く務め、今年は自身のデビュー40周年を記念したソロの演奏会でも多忙な大谷康子。11月7日には東京・築地市場の浜離宮朝日ホールでジャズの大家、山下洋輔と「驚異のドリーム・デュオ」と銘打った特別公演に挑んだ。山下の自作(委嘱新作の「アナザー・ステップ」世界初演を含む)からガレスビーの「チュニジアの夜」、ストレイホーンの「A列車で行こう」、さらにアンコールの十八番(おはこ)、モンティの「チャールダーシュ」まで舞台狭しと動き回る。挑発を繰り返すピアノの即興にも激しく食らいつき、ふだんの優雅なイメージを完全に覆した。

山下洋輔(右)との「一騎打ち」で弾ける大谷康子(2015年11月7日、浜離宮朝日ホール。撮影・竹原伸治、写真提供=ジャパン・アーツ)

12月19日にはサントリーホールでニコライ・ジャジューラ指揮キエフ国立フィルハーモニー交響楽団(ウクライナ)と共演してヴァイオリン協奏曲の二大名曲、メンデルスゾーンとチャイコフスキーを一晩で弾く。来春には東響を退き、ソロ一本の後半生に踏み出す。

こう書き連ねると、どう猛な女性を想像しがちだが、素顔の大谷は快活でちゃめっ気たっぷり。筋金入りのスイーツ女子でもあり、ついに「大谷康子のお菓子な名曲サロン」なるCD(キング)まで出してしまった。J・シュトラウス2世のワルツ「ウィーンのボンボン」、レイチェル・ポートマンが作曲した2000年の英米合作映画「ショコラ」の音楽、湯山昭の「お菓子の世界」、R・シュトラウスのバレエ音楽「ホイップクリーム」などの抜粋をヴァイオリンとピアノ(藤井一興が好演)、二重奏の編曲で軽妙に弾きこなす。

《おすすめのワイン》日本ではカフェや洋菓子店のスイーツを食べながら、アルコールをたしなむのは「甘辛両刀」と敬遠されがち。だが欧州では、ケーキと発泡酒の組み合わせは広い世代に普及している。大谷と藤井の「大人のスイーツ譚(たん)」にはやはりスパークリングの王様、シャンパーニュがふさわしい。ドイツではケーキを平らげて初めて飲み物に移るので、辛口の泡が余分な甘さを洗い流してもくれる。華やかな大谷を思い浮かべるなら、白よりもロゼの方がより、ふさわしいだろう。

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横山幸雄とのデュオ20年を迎えた矢部達哉

もう1人は東京都交響楽団ソロ・コンサートマスターの矢部達哉。前年の東京オリンピックを記念し、1965年に発足した都響は今年で創立50周年を迎え、新しい音楽監督の大野和士の指揮で欧州演奏旅行を成功させた。矢部は90年、22歳の若さでソロ・コンサートマスターに抜てきされたので、楽団の歴史のちょうど半分を共有したことになる。86~95年に都響音楽監督を務めた今は亡き名指揮者、若杉弘は矢部を「衆の中で光る存在」と評したが実際、ばりばりのソリストというよりはオーケストラ、室内楽など合奏の長(おさ)として貴重な存在感と音楽性を放ってきた。

矢部達哉(左)と横山幸雄(中央)の初共演を収めた「ワークショップ・オブ・ミュージック」/ガラ・コンサート(1995年12月22日、旧日経ホール)のライブ録音盤(非売品)

特にピアノの横山幸雄との相性は良く、コンビを組んで20年になる。最初に共演したのは95年12月22日、東京・大手町の旧日経ホール。日本経済新聞社主催による若手演奏家のリサイタルシリーズ「ワークショップ・オブ・ミュージック」でチェンバロの中野振一郎を加えた3人がそれぞれ別のテーマで連続演奏会を行った後、最終回で全員参加のガラ・コンサートを開いた時だった。矢部と横山は「ただ一度の共演」との触れ込みでストラヴィンスキーの「イタリア組曲」を演奏したところ意気投合、今日までデュオを続けている。

かつてソニーミュージックに録音した2点のCDはワインマニアで知られ、イタリアレストランまで経営する横山の趣味を反映して「エシェゾー(集落)」(97年)「レザムルーズ(恋人たち)」(98年)と、フランスの赤ワインの名前がそのまま、アルバムタイトルになっていた。今回、オクタヴィア・レコードの「エクストン」レーベルが発売した17年ぶりの共演盤にフランスワインの痕跡はない。ドイツの大作曲家ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」と第10番の2曲の題名だけが、黒基調の渋いジャケットには記されている。

ジャケット写真も若手の時代を順調に終え、中堅演奏家としての充実した日々を送る2人の落ち着いた表情を強調したもので、じっくり語りかける演奏の内容と一致する。矢部の美意識が徹底した「クロイツェル」と比べ、第10番には試行錯誤の跡が垣間見える。中堅から大家への脱皮に向け、これから挑むべき課題も示されているのが興味深い。

《おすすめのワイン》CDからワインの名前が消えても、横山といえば赤ワインだ。エシェゾー、レザムルーズともブルゴーニュの銘柄で日本におけるフランスワインの定番、ボルドーをあえて外した「こだわり」も記憶に残る。2人の円熟を祝し、音楽のルーツへとさらに迫る近未来への期待をこめるとしたら、ベートーヴェンもあこがれたイタリアに目を向けるのも悪くない。後期ルネサンスの作曲家にして貴族だったカルロ・ジェズアルド(1566~1613年)が治めていた地域、現在のバジリカータ州あたりでとれる黒ブドウのアリアニコ種はどうだろう? フルボディーで苦みのある赤ワインがベートーヴェンの渋みと、理想のマリアージュを奏でそうな気がする。

(電子編集部 池田卓夫)

シューマン:≪リーダークライス≫≪女の愛と生涯≫/ベルク:初期の7つの歌

演奏者:内田光子, レシュマン(ドロテア)
販売元:ユニバーサル ミュージック

Bach, J.S.: Partitas & Sonatas

演奏者:五嶋みどり
販売元:Onyx Classics UK

大谷康子のお菓子なヴァイオリン・コンサート(仮)

演奏者:大谷康子(ヴァイオリン)/藤井一興(ピアノ)
販売元:キングレコード

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」&第10番

演奏者:横山幸雄 矢部達哉
販売元:オクタヴィアレコード

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