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壇蜜さん 両親とも働いているなんてかっこいいと思った

2015/12/10

日経DUAL

29歳でグラビアアイドルとしてデビュー。その世界では遅咲きながら、色気と知性で国民的グラビアアイドルとなった壇蜜さん。現在はグラビアアイドルの枠を超えてドラマや映画にも出演。さらに、コメンテーターや執筆の世界でも活躍し、豊富な人生経験から語られるユニークで切れのある発言で、注目を集めています。
中学生時代から早くもあだ名は「愛人」だったという逸話を持つ壇蜜さん。「仕事で親が家にいなくても、寂しいと思ったことはありません」「アニメの登場人物に対抗意識を燃やして、早く自分も働きたいと思っていました」などの発言で、その早熟ぶりを印象づけます。「親が両方働いているなんてかっこいい、と子どものころから思っていた」と、働く親たちにエールを送ってくれます。

■父や母にいつもそばにいてほしいと思ったことはない

子どもといるよりも大人と話しているほうが心地よかったと言う壇蜜さん (写真:坂齋清)

日経DUAL編集部 お父さんがツアーコンダクター、お母さんが保育士として、二人とも壇蜜さんが小さいころからフルタイムで働いていたのですよね。

壇蜜さん(以下、壇) そうですね。両親とも夜の8時か9時くらいまで働いていたので、私は自宅からバスで10分くらいのところにあった父の実家に預けられていました。それで、夜に父か母が迎えにきて一緒に帰ることが多かったです。

―― では、夕食はご両親とではなくおじいさん・おばあさんと一緒に?

壇 それが、遠慮していたのか単に嫌だったのか、祖父母の家でごはんは食べたくないと思っていました。だから、夜遅くなっても自分の家で父母と一緒に食事していましたね。

―― 「ごはんはお父さん・お母さんと一緒に食べたい」という思いも強かったんですね?

壇 いいえ、それはありませんね。単に祖父母の家で食べたくないから自分の家で、という消去法です(笑)。

父や母がそばにいることで安心感を覚えたことって、今思えばそんなになかったです。迎えに来てもらって帰れるのはうれしかったですけど、「やっとお母さんに会える」って甘えたりはしなかったですね。

祖父母の家にいとこが数人いたんですけど、私は一人っ子なので、自分と同じような年の子どもがいるのが落ち着かなかった。大人たちは「一緒に遊べて楽しかったでしょ?」などと言いますが、全くそういう感じでもなくて。子ども同士って情報が足りないから、話が盛り上がらないし、自分が足りない部分を嫌でも認識させられる。その点、大人は子どもが足りないことに気づかないように接してくれるから、「やっぱり、大人と話しているほうが楽だな」って子ども心に思っていました。

■社会に必要とされているクリィミーマミに憧れた

―― 保育園に入るころから、お母さんのほうのおばあさんと一緒に暮らすようになったそうですね。

壇 もう他の家に行かなくてもいいんだ、ってホッとしましたね。祖母は口数が多いほうではなかったので、一緒にテレビを見て、ちょっと宿題を見てもらって、ノロノロと日々が過ぎました。自分の家なので気を使わずに済んだのがうれしかったです。

―― お母さんにも家にいてほしいなと思ったことは?

壇 全くなかったです。だって、親が両方働いているなんて、かっこよくないですか? 当時、私は仕事に対して「かっこいい」というイメージしかありませんでした。『魔法の天使クリィミーマミ』というアニメがはやっていて、小学生のクリィミーマミは変身するとアイドルになれる。「歌って踊れてかわいい」という点よりも、芸能事務所を引っ張っている姿、10歳なのに社会の一員としてものすごく必要とされている姿に、憧れましたね。クリィミーマミは架空の人物だけど、当時は子役が少しブームな時代でもあったせいか、子どもが働くということをいつも意識していました。

そしてそんな私の心を知っていたのか、母は帰宅をして寝るまでの1~2時間、「あなたに仕事を与えます」って言ってくれたんです。デニム地の布きれに熊を描いて、ビーズと針と糸を用意してくれた。それで「この熊の白い輪郭をビーズで縫いながら、全部留めていってください。これが仕事です」って言われて、それを必死にこなしました。

■家のことをきちんとしていないと恥ずかしい

七五三のお祝いでお母さんと

壇 小学校生活が始まると、学校にあまりなじめなくて、家で洗濯物を畳んだり、食器を洗ったりと家事を自分からするようになりました。母と祖母は「うちの子は勉強ができない、子どもらしくない」と愚痴ったことはありますが、「うちの子は全くお手伝いしない」と言ったことはないです(笑)。

―― 家事が子ども心に楽しかったんでしょうか。

壇 いいえ、全然。それも消去法です(笑)。学校に行って同級生となじむ努力をするよりは、家にいてニットを柔軟剤入り洗剤で洗ったり、アイロンをかけたりする仕事のほうが私にはできる、と思ったんです。

中学生になると、祖母が実家のある秋田に戻りました。父は沖縄に単身赴任で、母はフルタイムで仕事。家事をできるのは私一人だったので、とにかく家のことをきちんとできていないと恥ずかしいと思って、よりお手伝いに力を入れるようになりましたね。

―― 誰に対して恥ずかしかったのですか?

壇 世間様です。共働きで、両親が子どもをほったらかしているから子どもがグレたとか、援助交際始めたとか言われるのは絶対に恥ずかしいと思って(笑)、きちんと家を整えることに全力を注ぎました。

―― 平日はご両親とも働いていて一緒に遊ぶ時間がなかったかもしれないですが、土日は一緒に公園に行ったりとか、遊園地に行ったりとかして遊んだのですか?

壇 嫌です、そんなの。

―― え、困りますか。

壇 ちょっと困りますね。「お父さんと遊園地行こうか」みたいなお父さん、嫌です(笑)。父とよく行ったのは、近くの金魚屋さん。父は金魚を「ちゃん」付けで呼んでかわいがり、そんな父の様子を見るのが好きでした。母とも家の近所を一緒に買い物したりとか叔母の家に遊びに行ったりと、身近で済ませることが多かったです。

■寝る間も惜しんで勉強を続けた母を見て

壇 私の家では子どもは「連れ出し制」だったので、「今日はお父さんが子どもと一緒に出かける日」と決まっている感じで、トリプルで出かけるということはなかったですね。第一、皆そろってお出かけというのは、ちょっと気合いが入り過ぎてそわそわしてしまいます。落ち着かないです。

―― 遊びに行きたいとせがまない、家のお手伝いも率先してする…子どものころから成熟している印象ですね。ご両親から強く叱られたようなことは?

壇 小学3年生のころ、母が使っていたハンドクリームを、母が寝る前に布団の上にこぼしたときはものすごく怒られました。少し背伸びをしたくて、母のまねをして塗ってみたかったんです。そうしたらポトッと落としてしまって。「明日も早いのに、あんた、何やってくれんのよ」って雷が落ちました。

後々聞いたら、主任になる試験を受けている最中だったらしく、母も必死だったんでしょうね。母は父親を若いころに亡くしたこともあって、大学に行けなかった。出世して、キャリアを築きたいっていう気持ちが強かったと思います。それで、主任、係長、園長と昇格試験をよく受けていたので、当時はかなり忙しかったのでしょう。夜もずっと明かりをつけて、職場の書類を作ったり、試験勉強をしたりしていました。

―― そういう仕事に励むお母さんの姿を見て、子ども心にすごいな、と尊敬しましたか?

壇 お母さん、字がちっちゃいなって思いました(笑)。

書類がぎっしりと詰まった母のトートバッグは記憶に残っています。母は、いつも普通のかばんとその重いトートバッグの2個持ちでした。子どものころは実感がありませんでしたが、自分が会社勤めをするようになってからは、母がどれだけ仕事のことを常に考えていたのか、色々なプレッシャーとか周囲の期待を背負いながら一生懸命働いていたのかが分かるようになりました。

(写真:坂齋清)
壇蜜(だん・みつ)
1980年秋田県生まれ、東京都出身。和菓子工場や銀座のクラブホステスなど様々な職業を経験した後、29歳でグラビアアイドルとしてデビュー。独特の存在感で注目され、映画やバラエティーでも活躍。2013年の紅白歌合戦では日本舞踊を披露するなど、国民的グラビアアイドルとして認知される。映画『甘い鞭』で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。著書に『はじしらず』『壇蜜日記2』など。

(ライター 高橋京子、編集協力 Integra Software Services)

[日経DUAL 2015年10月30日付記事を再構成]

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