聖母マリアに集まる信仰 「出現の奇跡」は2000回も
聖母マリアに祈りを捧げ、神への仲介を求める信仰は世界各地に見られる。人々にとっては堅苦しい教義よりも、母性愛、悲しみ、犠牲を象徴するマリアを通して信仰に触れ、奇跡を受け入れる方がたやすかった。
世界から寄せられる「聖母出現」の報告
そんな聖母マリアの謎めいた存在感を増しているのが、世界各地から寄せられる、「聖母が出現した」という数々の報告だ。こうした体験をするのは、辺境や紛争地の貧しい子どもたちが多い。1980年代、ルワンダで3人の少女の前に現れた聖母マリアは大量虐殺が起きると予言した。フツ系住民がツチ系住民を襲撃し、多くの人々が殺害されたのは1994年のことだ。
聖母マリアはルワンダ南部のキベホやボスニア・ヘルツェゴビナといった紛争地に出現し、危険を警告したり、癒やしの象徴となったりしてきた。聖母の出現をきっかけに、病や障害が癒やされた人はまさに奇跡と驚嘆した。精神的な癒やしを得た人々の数となると、もはや数えきれないほどだ。
聖母マリアを祭る巡礼地として名高いルルドは、フランス南西部のピレネー山麓にある小さな町で、いわば奇跡の量産工場だ。農家の14歳の娘ベルナデット(1933年12月8日に列聖)の前に初めて聖母マリアが出現したのは、1858年。それ以来7000件を超す治癒例が奇跡と主張されている(うち公式に認められたものは69件)。
ルルドでは面積50ヘクタールほどの聖域に、毎年600万人が訪れる。2万5000人を収容する巨大な地下の聖堂は、初めての聖母出現から100年を記念して、1958年に建設された。近くにある岩屋は、聖母に言われてベルナデットが泥をすくうと、泉が湧き出たと伝えられる場所で、巡礼者の足で石がすっかりすり減っている。泉の水に身を浸して病を癒やそうと、車椅子の人が毎日何千人とやって来る。自力で歩いてくる人はさらに多い。病人を乗せた青いバギーの列はルルドの狭い道を埋めつくし、宗教関係の記念品を売る店が軒を連ねる。
奇跡をいかに証明するか
最近では、聖母マリアにまつわるビッグデータの収集と分析も行われている。米スタンフォード大学工学部出身で39歳になるマイケル・オニールは、古くは紀元40年までさかのぼる聖母出現の報告をデータ化し、ウェブサイト(MiracleHunter.com)で公開している。
カトリック教会では約450年前、宗教改革に対抗して開いたトリエント公会議をきっかけに聖母出現という超自然現象を体系的に調査・記録するようになった。同サイトによれば、これまでに約2000件もの出現が報告されているが、そのうち地元の司教が信憑性を認めたのはわずかに28件、バチカンの承認が得られたものは16件しかない。
オニールは著書の中で、バチカンが聖母出現を奇跡と認めるまでの緻密な調査と検証を紹介している。目撃者の信頼性や精神状態が判断材料として重視され、名声や富が目当てとの疑いがあれば無視されるか、糾弾される。
バチカンが判断を保留している出現例も20以上あり、メジュゴリエの聖母もその一つだ。メジュゴリエを管轄する歴代の司教はこれを認めない姿勢を貫いており、聖母出現を信じるフランシスコ会の司祭らと対立してきた。状況を打開するためにバチカンは委員会を立ち上げ、2014年に検討作業を終えている。
カトリック教徒だからといって、聖母の出現を信じる義務はなく、懐疑的な聖職者も多い。「マリアの言葉と、目撃者による解釈を区別するのは困難です」と話すのはデイトン大学マリア図書館のヨハン・ローテン神父だ。結局は信仰に基づいて判断するしかないのだろう。
「奇跡は自然や物理の法則を超越します」。イエズス会の修道士ロバート・スピッツァーは、そう主張する。彼がカリフォルニア州で主宰するマジス・センターは、信仰と物理学と哲学を探究する団体だという。「奇跡とは科学的に検証できるものでしょうか? 答えはノーです。科学が確かめられるのは、自然界の現象が物理法則に合致しているか否かだけなのです」
(文=モーリーン・オース、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2015年12月号の記事を再構成]
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