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小澤征爾と秋山和慶の指揮 「ベト7」で競う 同門の先輩後輩、恩師・斎藤秀雄の理念を体現

2016/8/31

サイトウ・キネン・オーケストラを指揮する小澤征爾(2016年8月18日、キッセイ文化ホール。撮影=大窪道治、提供=セイジ・オザワ 松本フェスティバル )

 長野県松本市で開かれた「2016セイジ・オザワ 松本フェスティバル」。満身創痍(そうい)の総監督、小澤征爾はベートーヴェンの「交響曲第7番」1曲に絞り、長年のパートナーであるサイトウ・キネン・オーケストラを8月18日と22日の2度、キッセイ文化ホール(長野県松本文化会館)で指揮した。

 同曲は二ノ宮知子の漫画「のだめカンタービレ」が2006年にテレビドラマ化(フジ)された時のテーマ音楽に採用されて以降、日本では「ベト7(べとしち)」の愛称で幅広い層に親しまれている。今年はベト7の演奏頻度が、例年にも増して高い。11日には同じく桐朋学園の斎藤秀雄門下で小澤の後輩、秋山和慶が桂冠指揮者の座にある東京交響楽団と、神奈川県川崎市のコンサートホール「ミューザ川崎」の「サマーフェスタ」最終日で演奏したばかりだ。

 小澤と秋山は恩師の没後10年に当たる1984年9月、世界で活躍する同門の演奏家を一堂に集めた「斎藤秀雄メモリアルコンサート」を東京と大阪で開き、ともに指揮台に立った。名人集団の圧倒的な合奏は大きな反響を呼び、87年にはサイトウ・キネン・オーケストラの名を冠し、初の欧州ツアーを成功させた。89年の第2回ツアーまでは秋山が同行したが、90年以後のツアーとレコーデイングは小澤の単独となり、92年に松本市でフェステイバルを立ち上げた。

 斎藤は1920年代にライプチヒでユリウス・クレンゲル、30年代にベルリンでエマヌエル・フォイアマンとチェロの演奏史に偉大な足跡を残した名手に師事。36年にNHK交響楽団の前身である新交響楽団へ招かれたユダヤ人指揮者、ヨーゼフ・ローゼンシュトックからは指揮の基本だけでなく、音楽家としてのあり方を徹底的に学んだ。第2次世界大戦後、日本人音楽家の水準向上を目指して桐朋学園を拠点に、厳格な教育者の顔を持った時、斎藤の脳裏にはクラシックの「肝」の一つであるドイツ=オーストリア古典音楽の解釈、演奏法を合理的に身につける方法論と、絶えず理想に向かって疾走する音楽家の人生論、二つの座標軸が存在したはずだ。

 とりわけ56年に出版した「指揮法教程」(音楽之友社)は父の斎藤秀三郎が編さんした「熟語本位英和中辞典」に匹敵する名著とされ、いかにすれば合奏を整え、楽譜の内容を音楽の形で立ち上げられるかを独自の所作名まで交え、詳述する。この「斎藤指揮法」「サイトウ・メソード」の名は小澤や秋山の活躍を通じ、世界に広まった。秋山は斎藤指揮法の忠実な継承者とされ、「斎藤秀雄メソッドによる指揮法」という映像ソフト(ビクター)まで出している。

東京交響楽団を指揮する秋山和慶(2016年8月11日、ミューザ川崎シンフォニーホール。撮影=青柳聡、提供=ミューザ川崎シンフォニーホール)

 堅実な秋山を「銀」とすれば、小澤は「金」とする風潮が長くあった。小澤の指揮スタイルは斎藤の教えを根底に置きつつもたぐいまれな身体表現能力で勝り、ファンタスティックな瞬間を生み出してきた。ところが秋山75歳、小澤81歳となる今年、川崎と松本で前後して奏でた「ベト7」の感触は、かつてないほど近似していた。

 秋山が東響を指揮してデビューしたのは、64年。半世紀を超える信頼関係の下、音楽監督の重責を退いた現在は、すっかり若返った楽員たちにすべてを委ね、鼓舞する。文字通り「拍子とり」に徹して飛躍的に向上した個々のソロの力量を最大限に引き出し、「大きな室内楽」の自発性と精彩に富む「ベト7」の名演を成就させた。

 一方、小澤は健康上の理由から前半の指揮をイタリアのファビオ・ルイージに譲り、後半の曲目も絶えず細かな指示を必要とするブラームスの「交響曲第4番」から、ひとたび流れをつくれば、一気に結末まで走れる「ベト7」に変えた。1楽章を振り終えるたび、指揮台脇に置かれた椅子へ後ろ向きに腰掛け、水分を補給するので少し心配だったが、第3楽章と終楽章の間はアタッカ(切れ目なし)でがんばり、時に叫び声を上げながら熱狂の頂点へと導いた。

 サイトウ・キネン・オーケストラの実態はもはや斎藤の直弟子ではなく、世界から「セイジ」を慕ってくる名手の集団である。それでも四半世紀に及ぶフェステイバル、ツアー、レコーディングの積み重ねを通じ、東響など固定の常設楽団に匹敵する一体感が備わった。小澤の動きは闘病前より控えめで、細かな指示も出さなくなっているが、音楽の根幹を鋭くとらえ「あとは皆さんで」と楽員へ任せる姿勢により、秋山と同じく「大きな室内楽」を生み出した。

サイトウ・キネン・オーケストラ演奏会終演後、ファビオ・ルイージ(中央左)と成功を喜び合う小澤征爾(2016年8月18日、長野県松本市のキッセイ文化ホール。撮影=大窪道治、提供=セイジ・オザワ 松本フェスティバル)

 驚いたのは同じメンバーなのに、オネゲルの「交響曲第3番『典礼風』」でルイージが引き出した緻密で、光沢に富んだ音色とは全く異なるサウンドで「ベト7」が一貫したことだった。それは重心が低く、少々ささくれ立ち、金属よりは木材を思わせるもので、斎藤がドイツに留学した時代のライプチヒ・ゲバントハウス管弦楽団やベルリン・フィルハーモニー管弦楽団などの音色に一脈通じる。ローゼンシュトックも日本へ来る前はダルムシュタット、ウィースバーデン、マンハイムなどドイツ各地の歌劇場で指揮をしていた。

 小澤と秋山は相違よりも同根を感じさせたばかりか、斎藤の音楽観の原点にある1920~30年代、「ローリング・トゥエンティーズ(躍る20年代)」と呼ばれたドイツ文化全盛期のオーケストラの響きを想起させた点でも、実に興味深い「ベト7」の競演だった。松本のフェステイバルの名称は昨年、「サイトウ・キネン」から「セイジ・オザワ」に変わったが、オーケストラの名称はサイトウのままだ。斎藤がライプチヒに留学して間もなく百年。日本のオーケストラ文化は先覚者の理念を確かに受け継ぎ、発展している。

(池田卓夫)

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