妻が松田優作化? 静かに なだめよ
水無田気流
女男 ギャップを斬る
子どもが乳児期の私は、健康で文化的で人間的な生活とは無縁であった。何しろ、私のような物書き兼非常勤講師には産休育休もないが、もちろん赤ん坊を放り出すこともできない。だから母になった当初、私には母性の女神よりも、「かなりテンパった松田優作」が降臨した。まず、初めての赤ん坊を育てるということは、刑事ドラマ「太陽にほえろ!」で優作扮するジーパン刑事の殉職時の名台詞「何じゃこりゃあッ!」の連続である。新生児のぐにゃぐにゃの身体に、大音量の泣き声に、そしてちょっとしたはずみで起こる大量の吐き戻しを手に、「何じゃこりゃあッ!」と叫び続ける日々……。
それから、時間がない。遺作「ブラック・レイン」では、優作演じるヤクザが「シマが欲しいんですよ、シマがあッ!」と叫んでいたが、私も叫んでいた。頻回授乳期、1日最低連続6時間は泣きぐずる子どもをあやしながら原稿を書きつつ、「ヒマが欲しいんですよ、ヒマがあッ!」と。さらに、優作は撮影時漫画を読んでいたスタッフに、こう怒ったそうである。「同じ空気吸ってねぇよ!」と。子どもに関して夫に対しブチ切れる妻には、「撮影時の松田優作」が降臨しているのだ。私もしばしばそんなときがあり、夫には申し訳なく思っている。読者諸兄には、何卒ご理解いただきたい。優作化した妻は、子どもという「作品」に夢中になるあまり、共同制作者の夫が同じ空気を吸っていないと爆発しがちなのだ。
統計調査でも、乳幼児を持つ妻は「自分は8時間以上家事・育児をやっている」と認識している人は72%いるが、一方夫でそう認識している人は47%。しかも、3割の夫は妻がやっている家事の内容を答えられない。この認識の格差が、長じて埋められない夫婦の溝となる前に、読者諸兄に覚えておいていただきたい。子育てに手がかかる時期、あるいは受験など子どもに評価が下される時期、妻にとって家庭は事件発生時の七曲署である。そんなとき貴兄はゴリさんになって一緒に吠えてはいけない。どうか山さんになって優作の肩をぽんとたたき、「ジーパン……少しは落ち着け」となだめる心づもりでいていただければ幸いである。
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