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指揮の若大将インキネン 日本で存在感を増す

2015/11/20

1980年生まれのフィンランド人指揮者、ピエタリ・インキネンの進境が著しい。7年前の初来日時から共演を重ねる日本フィルハーモニー交響楽団とは来年9月の首席指揮者就任に向けて演奏水準を着実に高める一方、来年1月には一足先に首席指揮者へ就いたチェコのプラハ交響楽団と、初めての日本ツアーに臨む。内外2つの「マイ・オーケストラ」とともに自身の指揮芸術の成果を問う2016年、日本での存在感はぐっと増すはずだ。

指揮姿には無駄がない(撮影=山口敦、提供=日本フィルハーモニー交響楽団)

11月6、7日。東京・赤坂のサントリーホールで開かれた日本フィル第675回定期演奏会。現在、首席客演指揮者のポストを持つインキネンはフィンランドの大作曲家シベリウスの生誕150周年を記念して取り組んでいる管弦楽曲連続演奏の一環として「歴史的情景第1番」、組曲「ベルシャザールの饗宴(きょうえん)」の2曲を前半に置いた。後半では、自身にとっても初の公開演奏となるマーラーの交響曲「大地の歌」(テノール=西村悟、バリトン=河野克典の独唱)を指揮した。一般受けのする曲目ではないにもかかわらず、土曜7日の昼公演は完売。東京のオーケストラ・ファンの間でも、インキネンの人気は定着してきた。

■全く新しい感性が結晶した「大地の歌」

この日は男性2人のソロ・コンサートマスターが「降り番」でアシスタント・コンサートマスターの紅一点、千葉清加がトップに座り、新任ソロ・チェロ奏者の辻本玲とタッグを組んだ。シベリウスの最初の音が出た途端、日本フィルの弦に脱力が行き渡り、どこまでも美しく透明な響きが広がっていく音の光景に驚いた。2人のソロにも、味がある。

日本フィル客員首席指揮者の地位にあるエストニアのマエストロ(巨匠)、ネーメ・ヤルヴィ(パーヴォの父)にインタビューしたとき、日本の楽団全般に共通する奏法の欠点として「弓を弦に強く押しつける余り、楽器自体の共鳴とホールに広がるべき倍音の両方が犠牲になる。熱演をすればするほど圧が加わり、音が痩せていく傾向」を指摘された。インキネンはベルリン・フィルハーモニーの日本人コンサートマスター、樫本大進と同時期にロシアの名教師ザハル・ブロンの下で学び、現役のヴァイオリニスト・室内楽奏者でもある。日本への客演を始めた際にはネーメと同じく「大きい音を出そうとするアメリカ奏法の影響を感じた」といい、「ヴァイオリン演奏の経験に基づき、弦楽器奏者とはテクニカルな部分もよく話し合い、楽器の自然な響きを殺さないよう入念を期している」。

インキネン(写真中央)が初めて指揮する「大地の歌」も河野克典(左)、西村悟(右)の好唱を得て、喝采を浴びた(撮影=山口敦、提供=日本フィルハーモニー交響楽団)

日本のオーケストラに欠けがちとされた音色の個性、美観が「ここ1~2年、急速に備わった」との感触は、インキネンと日本フィルが紡いだ響きに接し、さらに確かなものとなった。「大地の歌」は「交響曲」と銘打たれてはいるが、実態は様々な言語でヨーロッパに伝わった漢詩に基づき、ドイツ語にまとめた歌詞をテノール、アルト(またはバリトン)が交互に歌う管弦楽伴奏のリート(ドイツ歌曲)である。若いころからリートに傾倒し、オペラ指揮者と作曲家の両面から声とオーケストラの融合を究めたマーラーの到達点ながら、東洋のテイストを併せ持つ構造が、後世の演奏家に高いハードルを課している。

当初はフィンランドの女性歌手、ヘレナ・ユントゥネンがテノールの西村と共演する予定だったが来日不能となり、リート解釈に定評のある河野のバリトンに差し替わった。結果として日本人声楽家の精妙な歌いくち、インキネンの磨いた日本フィルの繊細な響きが精密画のように絡み合い、まれにみる美しいマーラーに結実した。リハーサルを「ミリメートル単位」で厳格につめた後、本番は楽員の自由に委ねる指揮ぶりを受け、管楽器それぞれのソロも持ち味を十分に発揮し、室内楽並みに親密な音楽の会話が繰り広げられた。

管弦楽の咆哮(ほうこう)にワーグナー楽劇並みの巨大な声が渡り合う「大地の歌」を期待した人には物足りないだろうが、次元を異にする新時代の解釈としては、世界のどこに出しても恥ずかしくない出来と思えた。この感想をインキネンに伝えたら「日本フィルとヨーロッパ演奏旅行に出て、ヘルシンキでシベリウスの『交響曲第5番』を演奏したら、『フィンランドのどのオーケストラからも聴いたことがない響きだ』と、絶対にセンセーションを巻き起こすはずだ」と返し、「それほど大きな潜在性が、私たちの共同作業の行く先には横たわっている」と付け加えた。

■楽譜にしみついた「癖」をただす

初共演の1年後に首席客演指揮者、8年後に首席指揮者(予定)と段階を踏んで日本フィルとの関係を深める過程で、インキネンは20代から30代に入り、指揮者としての方法論や芸術上の主張にも明らかな成長の跡がみえる。インタビューに訪れた日本フィルの本拠(フランチャイズ)、東京・荻窪の杉並公会堂ではチャイコフスキーの「交響曲第5番」のリハーサルが入っていた。この曲は楽団の桂冠名誉指揮者、小林研一郎の「十八番(おはこ)」で、伸縮自在に燃焼する「炎のコバケン節」の流儀が楽員の全身に刷り込まれている。

現在の首席指揮者であるロシア人マエストロ、アレクサンドル・ラザレフが08年に就任したときのインタビューでも「もちろん、ロシア音楽なら何でも指揮する。しかし、チャイコフスキーの5番だけは楽団に『スペシャリスト』が存在するので、しばらく除外だよ」と念を押された。インキネンも同年の初共演に5番を希望したが、楽団側の説得で第4番に変更した経緯がある。本人は「チャイコフスキーの交響曲では最も数多く指揮した曲」として、7年がかりで封印を解くに至った。

リハーサル開始。楽団備え付けのパート譜には、「コバケン節」の無数の書き込みが残る。インキネンは、ほんの数小節でもう「待った」をかける。「元の譜面に書いてある通りに弾いて、吹いて!」。ちょうど2年前、インキネンがシベリウスの交響曲全曲演奏会に臨んだ際も新全集版ではなく、創立指揮者でフィンランド人を母に持つ渡邉暁雄が手を入れた古い楽譜を使いつつ、現在の日本のオーケストラの演奏能力、聴衆のシベリウス受容段階に照らして不要と思われる改変をリハーサルのたび、丁寧に取り除いていた。

日本フィルの十八番(おはこ)、チャイコフスキーの「交響曲第5番」の原点回帰を目指し、熱のこもるリハーサル(東京・荻窪の杉並公会堂大ホール)

「フィンランド各地のオーケストラも日本フィルも、置かれた状況は同じだ。黎明(れいめい)期はテクニックの基礎を固めるのに精いっぱいで、カペルマイスター(楽長)タイプの指揮者の厳格な指示を上意下達で受け、音をそろえるのにきゅうきゅうとしていた。だが今は個々の楽員のアーティストとしての技量が上がり、楽譜の解釈や奏法など様々なアイデアを指揮者との対話を通じて実現し、より芸術的な表現が可能になっている」

こう認識するインキネンは日本フィルでも「基本からの対話」を心がけ、「かなり多くの課題をクリアし、オーケストラの質を高めてきた」と自負する。だが首席への昇任を前に「まだまだ先は長い」とし、「一貫したワーク・イン・プログレス(日々是改善)」を強く意識している。

13年にオーストラリアのメルボルンで指揮したワーグナーの「ニーベルングの指輪」全4部作の再演、チャイコフスキーの「エフゲニー・オネーギン」新演出初演でのドイツ・ドレスデン州立歌劇場デビューなど、15~16年シーズンはオペラ指揮も多忙だ。日本フィルでも13年のワーグナー生誕200年に「指輪」から「ワルキューレ」の第1幕を演奏会形式で指揮し、絶賛を浴びている。「今後も日本フィルとオペラをやるつもりか」と尋ねると、「世界一流の歌手と共演し、歌のフレーズとからんだり、ブレスを一致させたりするうち、より豊かな表現力を備えるに至るので、ぜひ継続したい」と強い意欲をみせた。

■プラハと東京を結ぶ運命の糸

もう一つのオーケストラであるプラハ響の首席にも今年9月、日本フィルより1年早く就いたばかりだが、すでに英国ツアーを成功させた。来年1月の日本はインキネンとのツアー第2弾となる。「チェコのオーケストラで国民的作曲家、ドヴォルザークの交響曲第9番『新世界から』を指揮するのは、日本フィルのチャイコフスキーの5番と同じくらい難しいが、丁寧なリハーサルを繰り返し、短期間で私のアイデアに共鳴してくれるようになった」と、手応えを語る。「問題」は「音楽への共感が深すぎること」。ブラームスの伴奏音型を「強い音で弾きすぎる」と注意したら、女性コンサートマスターに「だって余りにも、美しいんですもの。弱く弾くなんて、もったいないわ」と言われ、焦ったそうだ。

インタビューの受け答えも闊達になった

プラハ響を30年にわたって率いた初代指揮者、ヴァーツラフ・スメターチェクは旧日本フィルがスポンサーから支援を打ち切られて現日本フィル、新日本フィルに分裂した直後の1973年、日本フィルに予定通りの客演を果たした。そして、ドヴォルザークの「新世界」交響曲で奇跡的な名演奏をなし遂げ、楽団の存続を強く印象づけた。後任のイルジー・ビエロフラーヴェク(現チェコ・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者)は今も日本フィル首席客演指揮者に名を連ねるが、初共演は74年と早い。当時28歳でインキネンの初共演と同い年。みずみずしい指揮ぶりで、日本フィルの未来に希望を与えた。東京とプラハでインキネンが活躍する舞台はどうやら、本人が考えているよりずうっと早く、周到に運命づけられていたようだ。

(電子編集部 池田卓夫)

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