「ご近所さん」になったコウノトリ 絶滅からの羽ばたき

「赤ちゃんを運んでくる」と欧州で伝えられるコウノトリ。名前は知られているが実際に見たことのある人は少ないはず。日本では一度、絶滅したからだ。兵庫県北部の豊岡市は国内最後の生息地。保護と人工繁殖に取り組み、再びコウノトリを野生に返してから今年で10年。当時この地域で新米時代を過ごした記者が、カメラを携え再び訪れてみた。
民家そばの電柱で羽を休めながらくちばしを打ち鳴らすコウノトリ。古くから人里で暮らす生き物だ(兵庫県豊岡市)

人工飼育50年、自然放鳥から10年

「カタカタカタカタ……コココココココ」

豊岡市の山あいの集落に響く奇妙な音。民家近くの電柱の上で背丈が1メートルほどの白い鳥がくちばしを素早く開けたり閉じたり。コウノトリだ。鳴けない代わりにくちばしを打ち鳴らす「クラッタリング」は、仲間とのコミュニケーション。超望遠レンズを構えていると近くの家からおばあさんが出てきた。「でかいカメラで何撮っとるん?」。電柱を指すと「ああ、よう止まっとるよ」とチラリと見ただけで出かけてしまった。

広げると約2メートルになる翼をはためかせながら、1羽、2羽と湿地に舞い降りる。見守る人たちから「わあっ」と歓声が上がった。「放鳥後も近くにすむコウノトリの中には、園内で飼うコウノトリの餌の時間になるとやってくるのもいるんです」と解説するガイド。ここはJR豊岡駅から車で約10分の山沿いに位置する兵庫県立コウノトリの郷公園。野外で飼育しているコウノトリを間近に見ることができ、休日になると県内外から観光客が訪れる。保護と人工繁殖の拠点で、周辺の関連施設を含むと現在100羽近くを飼育している。

コウノトリはかつて日本各地に生息していたが、戦後の河川改修による湿地の消滅や農薬の普及で主食のドジョウなどがいなくなり激減。国内有数の生息地だった豊岡市では1965年に人工飼育を始めたが、71年に自然界で唯一生き残っていた野生種が死に、日本の空からコウノトリの姿は完全に消えてしまった。人工繁殖もひながふ化しない状態が24年続き難航。それでもソ連(当時)から幼鳥を譲り受けるなど、絶え間ない保護活動が奏功し飼育数は増加していった。そして2005年9月には、野生で絶滅した種を再び自然界に戻すという世界でも例のない自然放鳥が始まった。

「当たり前のこと」が大事件だった

初の放鳥もこの場所だった。期待をふくらませ集まった数千人の笑顔が、飛び立った空に向けられていた光景を、いまもよく覚えている。公園内にあるPR施設「コウノトリ文化館」の入館者数は、2000年の開館当初は年間約11万人だったが、05年の放鳥で急増。06年度は48万人を超えた。ここ数年は30万人前後で堅調に推移している。一時期の盛り上がりこそ落ち着いたが、コウノトリを一目見ようと観光客や子宝にあやかりたい夫婦らが訪れる。いまや豊岡市の定番の観光スポットに育った。

下校する小学生のそばを歩くコウノトリ。警戒心の強い鳥だが、大胆に人に近づくこともある(兵庫県豊岡市)

通学路を歩く小学生の列のそばにふわりと降り立ったコウノトリ。子どもたちは驚くことも足を止めることもなく、友達とおしゃべりをしながら通り過ぎていった。生まれた時から空を飛ぶ姿を見ている子供たちにとっては、当たり前の光景なのかもしれない。市内各地を巡ると、民家に近い田んぼや河原などあちこちで目撃することができた。最初の放鳥からしばらくは、コウノトリの背中に取り付けた発信器の信号を頼りに研究者、野鳥ファンたちが駆け回り、記者は初めてのひなが巣立つ瞬間をとらえようと、何日も張り込んで待ち続けた。のどかで小さな町の大事件だった。あれから月日は経過。放鳥と自然界での繁殖が進み、日本各地にすむ野生の個体は80羽を超えた。

郷公園近くの市立三江小学校の校庭にある鉄塔の上に止まる1羽のコウノトリ。すぐ下ではサッカーをする子どもたち。「06年に繁殖の場となる人工巣塔を建てました。3年前からペアがすむようになり、翌年から今年まで毎年ひなが生まれて無事に巣立っているんですよ」と田中博文校長は目を細めた。「冬から春にかけての子育てと巣立ちの季節は、子どもたちが観察日記をつけています。一度は絶滅した野生動物と一緒にいられて学べる小学校は、世界でもとても珍しいでしょうね」。コウノトリと人間のご近所づきあいはうまくいっているようだ。

精米後に出荷される「コウノトリ育むお米」(兵庫県豊岡市)

地域を変え、世界へ羽ばたく

「コウノトリがすめる豊かな環境は、人間にとっても健康的に暮らせる環境」。豊岡市はこの考えに基づき、兵庫県や地元のJAたじまと協力し、絶滅の要因となった農薬や化学肥料に頼らない農業を放鳥前からスタート。無農薬・減農薬で栽培した「コウノトリ育む農法」による米が03年から作られるようになった。「育む農法」を導入した田んぼの面積は14年で約290ヘクタール。初めて放鳥が行われた05年度の約7倍に広がり、生産者数はこの10年で17人から284人と16倍にも増えた。

食の安全への意識が高まる中、無農薬・減農薬でつくられた「コウノトリ育むお米」は人気を呼び、ブランド米として成長を遂げた。今年はイタリア、米国とシンガポールで試験販売をスタート。初の海外輸出だ。中貝宗治市長は「環太平洋経済連携協定(TPP)なども見据え、世界で競争力あるコメに育てていく」と力を込める。

放鳥式典で地元の小学生らに見守られながら羽ばたくコウノトリ(10月3日、福井県越前市)

放鳥から10年の節目となる今年は、千葉県野田市と福井県越前市、そして韓国西部の忠清南道礼山郡でコウノトリの放鳥が行われた。いずれの取り組みも豊岡のノウハウを取り入れ、郷公園が飼育員の訓練や研究などに関わった。過疎と衰退が懸念されるが、地方ならではの豊かさや底力を探るヒントを運び、コウノトリは豊岡から羽ばたき続ける。

(大阪写真部 浦田晃之介)

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