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秋に本は売れないのに、なぜか「読書の秋」

2015/10/28

 秋もたけなわ。しのぎやすいこの時期は「スポーツの秋」「行楽の秋」などと外へ出かけるのに好適とされる一方、「読書の秋」ともいわれてきた。ただ、秋は実は本が売れない季節でもある。それなのになぜ読書の秋とされるのだろうか。
「読書の秋」は読書週間の標語にも使われた(2004年のポスター)

 総務省の家計調査(2人以上の世帯)をみると、昨年、書籍への支出が最も多かったのは3月で1世帯当たり872円。以下12月、4月、8月と続く。一番少ないのが2月の596円、次が9月(620円)。10月が下から4番目だ。2013年をみると12月が最多で3月が2番目。最少は9月でその次が10月。両月は月の日数が少ない2月よりも売れていない。秋は本が売れない季節のようだ。

 書店向けの販促事業サイトを運営するeパートナー(埼玉県越谷市)の仁藤雄三社長によれば3月や4月は新入学シーズンで本を買う人が多い。8月は夏休みで小学生の書店への来店が多い時期であり、12月は年間ベストセラーが発表されたりクリスマスフェアがあったりすることで本がよく売れる。間にはさまれた秋、9月から11月は1年で最も本が売れないシーズンになるわけだという。

■ルーツは唐代の漢詩?

 本が売れないのになぜ「読書の秋」なのか。よく聞くのが中国・唐代の詩人、韓愈の詩が元となっているという説だ。息子に学問の大切さを説いた長い詩の中に「時秋積雨霽 (中略)燈火稍可親」(ときあきにしてせきうはれ とうかようやくしたしむべく)というくだりがある。

 これが後に「灯火親しむべし」という漢語として日本に入り、さらに明治時代、夏目漱石が1908年(明治41年)に新聞連載を開始した「三四郎」の中で「そのうち与次郎の尻が落ち付いてきて、燈火親しむべしなどという漢語さえ借用して嬉(うれ)しがるようになった」と詩の一節を引用したことで、秋は読書のシーズンだと一般にも知られるようになったとされる。

 ただ、ここから「読書の秋」という言葉につながったというのは早計のようだ。明治・大正時代、新聞紙面に「読書の秋」という言葉はほとんど出てこず、紙上にポツポツみられるようになるのは昭和に入ってからだ。かつて「読書の秋」の由来を調査した福井県立図書館も「読書の秋という言葉が明治・大正時代には知られていたとは推測しにくい」(同図書館の渡辺力氏)という。

 この言葉が目に付くようになるのは戦後だ。全国紙の紙面でみると「読書の秋」という言葉は50~60年には秋になると毎年のように見出しや記事に見られるようになり、その数は70年以降は急増している。

 その理由として考えられる出来事がある。毎年秋に催される「読書週間」だ。10月27日から11月9日の2週間、全国の図書館を中心に各地で本に関する様々な催しや講演会などが開かれる。今年で69回目だ。

 読書週間の源流は、1923年(大正12年)にさかのぼる。戦前の日本の図書館は「入館料や貸出料を取ったうえ、国民の間にはそもそも本を買うものという考え方が強かった」(日本図書館協会元事務局長の松岡要氏)ことなどから、利用者は限られていた。このため図書館事業の発展を目指し、業界団体の日本図書館協会が宣伝と発展のため「図書館週間」を企画。11月1~7日までの間、「講演会や展覧会(中略)其(その)他種々興味ある催しを公共団体と連絡を取って開く」(当時の朝日新聞の記事)予定だった。

 ところが9月1日の関東大震災で西日本の一部を除いて催しはほとんどできなかった。翌年、協会はあらためて同じ期間に同種の企画を実施、毎年続くことになる。東京市(現在の東京都区部)では「読書週間」と銘打って市内の図書館でイベントを開催した。これが読書週間という言葉の始まりだ。

■「週間」、戦後に復活 「読書の力で平和な文化国家を」

 「図書館週間」「読書週間」は戦時色が深まった39年から中止となっていたが、戦後の47年(昭和22年)、復活する。第1回は11月17~23日。「読書の力で平和な文化国家をつくろう」という目的で出版や図書館の関連団体が中心となって復活させた。戦前と時期がずれているが、これにはわけがある。

 戦後、読書週間を再開するにあたって参考にしたのが米国の「チルドレンズ・ブック・ウイーク」だった。子供にもっと本に親しんでもらおうと1919年に始まった啓発運動だが、これがまさにこの時期だった(現在米国は5月に開催)。後に栗田出版販売の社長を務めた出版人、布川角左衛門によればGHQ(連合国軍総司令部)の一部局、CIE(民間情報教育局)の出版顧問として日本に来ていた「フレデリック・メルチャー氏によって『チルドレンズ・ブック・ウイーク』の示唆が加えられ(中略)ここに今日に及ぶ読書週間が企図されるに至った」(「読書週間十年の回想」より)とある。

読書週間のポスターにも1980年代以降読書の秋を強調する標語が登場する(84年のポスター)

 多数の貴重な書籍の展示や本ができるまでの工程の実演など多様な催しが行われた第1回が成功裏に終わったことで、翌年第2回読書週間が計画される。その際、開催期間を2週間ほど早め、現在と同じ10月27~11月9日とした。「(11月3日の)文化の日を中心とし、その前後2週間に改める」(同)ためだ。「文化国家建設に寄与する」という当初の目的に合わせた形だが、はからずも日程の移動によって季節的にも秋の最盛期に開催されることとなる。読書週間がその後この日程で続いたことで、人々の間にも「読書=秋」というイメージが定着していったことは想像に難くない。

 この読書週間は毎年実行委員会を作り実施してきたが、59年に関連団体が中心となって読書推進運動協議会(読進協)が設立され、以来、同会が主催団体となる。日本の出版販売の歴史を記した「日本出版販売史」は読進協設立の経緯について「テレビなどマスコミの攻勢への対応策でもあった」と書いている。

 当時は現在の民間テレビキー局が次々に開設され、皇太子殿下(当時)の結婚式が実況中継されるなど、テレビ産業が徐々に成長し始めた時代だ。新しいメディアに対抗するかのように、読進協は全国に地方組織をつくり、ここを通じて各地の優良有料読書サークルの表彰や読書普及に尽力した個人・団体の表彰などを読書週間に実施するなど、このイベントを盛り上げていく。その後読書週間告知のポスターにも「秋です。本です。読書です」(84年)「キラリ 知性 秋の1冊」(85年)などのコピーが登場している。1000年以上昔からある漢語の浸透に、こうした活動が加わり、いつしか「読書の秋」が秋を代表するキャッチフレーズになったのではないだろうか。

 活字離れといわれて久しいが、一方で電子書籍が著しく成長するなど、文字で書かれたコンテンツを読むことへの関心は衰えていない。書店や携帯端末で面白そうな「本」を購入するも良し、図書館に行くも良し。日を追うごとに夜の長さを実感できるこの時期、「灯火に親しみ」「読書の秋」を満喫してはいかが。

(高橋伸夫)

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