「今年に入ってから相続の相談や手続きの依頼に来る人が目立って増えた」
埼玉県志木市。最寄り駅からタクシーで約5分の住宅地に事務所を構える司法書士の大貫正男氏(67)は話す。資格を取得して、この地で開業してから40年。2000年4月に始まった成年後見制度の普及にも積極的に取り組んできた業界では著名な人物だ。
そんな経験豊富な大貫氏でも最近の変化は「想定外」だったようだ。司法書士の場合、相続に関する依頼は従来、相続登記がほとんど。登記は最後の手続きなので相続開始から関わることは少なかった。ところが最近は「相続開始後まもなく相談に来るケースが多い」(大貫氏)。
愛知県小牧市に事務所を開いてから37年の司法書士、船橋幹男氏(61)も同様の経験をしている。中には「相続税がかかるかどうか心配になり相談に来る例もある」。税金の相談は税理士の業務なので知り合いの税理士を紹介することになるが「司法書士は相続に関するコーディネーターになった」と感じる。
相続の相談先としての存在感が高まっている司法書士。特に「中流層の認知度が向上している」(複数の司法書士)。なぜだろう。
自宅と保有金融資産の合計が5000万円前後~1億円程度の層を中流層と呼ぶ場合が多い。財産構成はそれほど複雑ではないが、それなりの金額はあるので、相続が発生した場合、遺産分割協議を要領よく進めないと名義変更など相続手続きが滞る恐れがある。一方、今年からの増税で相続税の納税・申告が必要な場合が出てきたのも中流層の特徴だ。
中流層の悩みは「遺産分割をどう話し合えばいいか」など相続のあれこれを気軽に相談したり代理したりしてもらえる専門家をあまり知らないことだ。
企業オーナーや高額所得者など富裕層であれば、自分や自分の経営する会社の顧問弁護士や顧問税理士に相談や依頼ができる。その点「中流層は弁護士や税理士ら専門家との接点がない場合が多い」(関係者)。
ただ中流層でも比較的接点があるのが司法書士だ。最近、父親が死亡し、司法書士に相談に行った千葉県の会社員(52)は父親が所有していた自宅の登記済み権利証を見たのがきっかけだ。権利証に
は父親が自宅を購入した際に所有権移転登記をした司法書士の名前があった。会社員は「相続登記を頼むついでに遺産分けや相続税について聞いてみようと思った」という。こうした経緯で司法書士を訪れる例は比較的多い。
司法書士は相続に伴う個人や家庭のニーズにどこまで対応できるか。司法書士の業務から見よう。
司法書士は売買に伴う所有権移転登記や相続登記といった「不動産登記」や会社設立など「商業登記」の代理権が認められている。親の不動産を相続した場合は司法書士に登記を依頼する例が多い。
相続登記だけなら相続手続きの一部分だが、司法書士が「相続のコーディネーター」といわれるようになったのは、遺言の作成支援や遺産分割協議書の作成を中心に遺産分けを円満に進めるノウハウを積み上げてきたからだ。
公証人が作成する公正証書遺言は昨年10万件になったが、司法書士はその原案作りに関わることが多い。遺言がない場合は相続人の遺産分割協議が必要だが、相続財産に不動産を含む場合はその相続登記に遺産分割協議書が必要なため、遺産分けにも関わってきた。
相続財産の大半は不動産だが、それ以外に預貯金や有価証券などもあり、その名義書き換えも必要。こうした相続手続きで面倒なのが被相続人が生まれてから死亡するまでの戸籍謄本を集めることだ。相続人を確定するためだが、これは被相続人が本籍地を置いた自治体全てに照会する必要があるなど意外に手間がかかることが多い。司法書士はこの業務にも慣れている。
司法書士は認知症高齢者らの財産管理を後見人が代理する「成年後見制度」に精通する人が多い点も評価されている。昨年、成年後見人らに就いた司法書士は8716人と全体の約4分の1を占める。
最近、司法書士の中には相続関連業務を中心に扱う例が目立ってきた。相続関連に特化したところは、より効率的に対応でき、報酬も10万円台からが目立つので利用するのも一法だ。
東京都中野区に事務所を構える鈴木敏弘司法書士(36)はその一人。インターネットサイトで相続の顧客を増やしている。相続業務を軸に法人化したところもある。東京都新宿区の司法書士法人NCPだ。代表の井上真之司法書士(37)は「受託件数は年3000件を超える」と話す。
もっとも相続関連で司法書士ができないこともある。まず争い事になった場合だ。遺産分割協議でもめてしまい、家庭裁判所で調停、審判が必要な場合、当事者の代理人になれるのは弁護士だけ。一方、相続税申告が必要な場合、申告代理は税理士の仕事だ。ただ司法書士は通常、弁護士や税理士と連携しているので必要なら紹介してくれるだろう。(編集委員 後藤直久)