時差ボケは忘れた頃にぶり返す

2015/10/20
ナショナルジオグラフィック日本版

今年もお盆やシルバーウイークの休みで海外旅行に向かう人々のニュースがテレビやネットをにぎわせた。2014年に日本を出国した人数は1690万人だったそうだ。訪日外国人旅客数も今年は1800万人に達する勢いである。

ここ何回か朝型勤務、夜勤など、体内時計に関連した睡眠問題について紹介してきたが、いよいよ真打ち「時差ボケ」の登場である。トリを取るには訳がある。時差ボケは睡眠リズムの異常に関わる症状のオンパレードだし、メカニズム的にも生体リズム界の三遊亭円朝か桂米朝かというくらい味わい深い存在なのである。

(イラスト:三島由美子)

時差ボケの症状は人によってさまざまだが、頻度の高いものから挙げると、不眠(約70%)、日中の眠気やぼんやり感(約30%)、能力低下や頭重感(約20%)、食欲低下などの消化器症状(約15%)、倦怠疲労感(約10%)、眼精疲労やかすみ目(約5%)など多種多様。時差ボケを経験してはじめて我々は体内時計に支配されているんだなぁ、と気づかされた人も多いだろう。

時差ぼけの歴史は実は古い。15世紀半ばに始まった大航海時代にはすでに船乗りたちがジェットラグならぬボートラグ(boat-lag)を経験したと記録されている。しかし時差ボケが広く知られるようになったのはなんと言っても一般人が飛行機を気軽に利用できるようになった1970年代以降である。

時差ボケのメカニズムについては体内時計と(渡航先での)生活リズムのズレ、と理解している人も多いと思うが実はもう少し深い。ここでは東京から時差13時間(日本より13時間遅れている)のニューヨーク(NY)に出張したK氏のケースを例に、渡航中の彼の体内で何が生じているのか原因別にまとめてみよう。

(1)睡眠不足、低気圧、アルコールなど

成田空港を夕方18時に離陸したK氏は機内で一晩を過ごした。機内サービスのビールとワインを多めに流し込んだがよく眠れない。機内ではどうしても眠りが浅く睡眠不足になりがちだ。アルコールも寝つきは若干良くなるが深い眠りはむしろ減らしてしまう。また、機内は0.7~0.8気圧(富士山の5合目程度)のため血中酸素濃度も地上の70~80%まで低下する。微細な振動による乗り物酔いもでる。このように心身の不調がでやすい下地ができあがってしまうのである。

(2)体内時計と生活時間のズレ

さてここからが本番。NYのジョン・F・ケネディ国際空港までは直行便で時差とほぼ同じ約13時間かかる。NYは夕方18時だが、機内は低照度だしアイマスクなどもしていたのでK氏の体内時計は日本時間の朝7時のままである。

ここで豆知識1だが、脳内にある体内時計システムのマスタークロック(視床下部の視交叉上核)は、渡航先でお日様を浴びることができれば日光-網膜-視交叉-視交叉上核ルートを介して遅くとも数日で現地時刻にリセット(リズム同調)される。ここら辺は『「もっと光を!」冬の日照不足とうつの深~い関係』の回でも詳しく解説したのでご興味があればご参照ください。この知識を前提にK氏の様子を見に戻ろう。

さて、ホテルにチェックインしたK氏だが、近場のレストランで遅めの夕食を終えるとすでに23時、本日の日程は終了である。トホホ。NYではまともに太陽光も浴びていないので体内時計はまだ日本時間のままである。ベッドに潜り込んだK氏だが「全然眠くない!」。そりゃそうだ、だって体内時計はまだ正午なんだもん。

それでも睡眠不足と疲労の助けもあってどうにか寝ついたK氏であったが、朝までの8時間はウツラウツラの連続であった。外は夜だが体は昼間。体内時計の指示で交感神経は活発、脳温は上昇、覚醒を促すホルモンは出っぱなしで、なかなか睡眠が深くならないからである。

だが、翌日の取引相手との会議では、逆に外が昼間でも体は夜。眠気と集中困難で得意の英語も駆使できず、今ひとつ不利な条件で商談をまとめてしまった。こりゃ部長にドヤされるな……ちょっとブルーなK氏であった。

時差ボケとは、このように体内時計と渡航先の社会時刻(生活リズム)との間に乖離(かいり)が生じ、心身の機能を十分に発揮できない状態と思っている人が多いのではないだろうか。体内時計と外部時刻のズレは「外的脱同調」とも呼ばれる。

ところが、これは初期症状に過ぎず、NYで数日過ごすうちさらに奇々怪々なことがK氏に起こり始める。

(3)体内時計同士のズレ

初日の商談では失敗したK氏であったが持ち前のバイタリティーで得意先回りや暇を見ての観光など精力的に動き回った。日光を大いに浴び、体内時計を現地時刻にがっちりとリセットしたはずのK氏であるが、今ひとつ調子が悪い。

時差ボケは到着直後に一番ひどく、日がたつにつれて改善するような印象を持っている方が多いと思うが、実は必ずしもそうではない。到着後数日しても調子が悪い、むしろ不眠や眠気、食欲低下などが到着直後よりも悪化することもある。これは旅疲れだけではなく体内時計同士のズレが原因であることが少なくない。「同士」とはどのような意味なのか?

(C)PIXTA

ここで豆知識2。生体リズムを作り出す基本システムは時計遺伝子群が担っている。今回は詳しく説明する紙幅がないが、我々の体の細胞の1つ1つにリズムを刻むための時計遺伝子セットが整っており、普段の生活ではマスタークロックの支配下で日々の時刻調整をしながらホルモン分泌、神経活動などいろいろな生体リズムを維持している。これら全身の細胞や臓器が担う時計活動をマスタークロック(親時計)と対比的に末梢時計(子時計)と呼んでいる。

体内時計同士のズレとは親時計と多数の子時計の相互の時間関係(タイミング)がばらばらになってしまうことを意味する。体内で時刻のズレが生じることから「内的脱同調」とも呼び、やはり時差ボケの原因となる。このようなことが生じる原因は、親時計と子時計たちの現地時刻への同調速度がまちまちだからである。

親時計の同調スピードはダントツに速いが、子時計の同調スピードは親時計よりも遅く、中にはかなりの鈍足もいる。体温やメラトニンなど睡眠や覚醒を調整する主要な子時計が渡航先時刻に同調し、外的脱同調が概ね改善するには7~10日かかる。したがって大部分の海外旅行では現地でよく眠れるようになった途端に帰国する羽目になる。ただし、この時点でも内的脱同調は解消されていない。たとえば消化器担当の子時計などは同調を達成するのに1カ月以上かかるとも言われる。

内的脱同調はナゼ時差ボケの原因になるのだろうか。たとえば、食事を例に取ると、腸管の動き、消化酵素、血糖調整のためのインスリンの分泌、栄養素の吸収、排便など一つ一つに日内リズムがあり、それぞれ適度な時間差で効果的に連動し健康を維持している。相互の時間関係がおかしくなると不調になるのは当たり前なのである。

さて、1週間の出張をこなして帰国することになったK氏。ジョン・F・ケネディ国際空港を正午発の便に乗り込んだ。帰路は14時間のフライトである。成田空港着は日本時間で午後3時。しかし睡眠リズムが概ねNY時間に同調しているK氏の体感時刻は深夜2時。これから自宅のベッドに辿り着くまでしばらく眠気を我慢しなくては……ふー。

日本に戻ったK氏の体内では何が起こっているだろうか。

親時計は午後の日差しを浴びてウサイン・ボルト並のスピードでリセット街道を猛進中である。睡眠担当の子時計も駆け足で追随。その他多くの子時計たちも方向転換したが、その歩みは遅々としている。親時計と子時計たちが日本時間で再び外的にも内的にも再同調するにはまだしばらくかかりそうである。

足の速い子、遅い子をまとめて引率するのは容易でないが、できるだけ列を乱さないように海外出張をこなす方法はないだろうか。次回、補講で考えてみたい。

(イラスト:三島由美子)
三島和夫(みしま・かずお)
1963年、秋田県生まれ。医学博士。国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所精神生理研究部部長。1987年、秋田大学医学部医学科卒業。同大精神科学講座講師、同助教授、2002年米国バージニア大学時間生物学研究センター研究員、米国スタンフォード大学医学部睡眠研究センター客員准教授を経て、2006年6月より現職。日本睡眠学会理事、日本時間生物学会理事、日本生物学的精神医学会評議員、JAXAの宇宙医学研究シナリオワーキンググループ委員なども務めている。これまで睡眠薬の臨床試験ガイドライン、同適正使用と休薬ガイドライン、睡眠障害の病態研究などに関する厚生労働省研究班の主任研究者を歴任。『8時間睡眠のウソ。日本人の眠り、8つの新常識』(川端裕人氏と共著、日経BP社)、『睡眠薬の適正使用・休薬ガイドライン』(編著、じほう)などの著書がある。

(日経ナショナル ジオグラフィック社)

[Webナショジオ 2015年9月3日付の記事を再構成]

8時間睡眠のウソ。 日本人の眠り、8つの新常識

著者:川端 裕人, 三島 和夫
出版:日経BP社
価格:1,512円(税込み)

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