「保育園義務教育化」は少子化を止められるか
社会学者・古市憲寿さんに聞く
「お母さん」に基本的人権は与えられていないのか
―― お二人は、これまでにも雑誌の対談などで面識があったそうですね。今年7月に古市さんが出版された『保育園義務教育化』(小学館)に、白河さんはかなり驚かれたということですが。
白河さん(以下、敬称略) 本当に驚きました。これまで「結婚とか興味ない」とおっしゃっていましたし、まさかこの分野をテーマに選ばれるとは。こうした問題提起は、誰がどのタイミングでするかがとても重要です。古市さんが声を上げたことで、私は「ついに黒船が来た!」と思いましたね。
古市さん(以下、古市) 個人的には今でも子どもが大好きとか、結婚したいとかいうわけではありませんが、少子化についてはずっと関心がありました。それに、僕も30歳になって、妹や友だちに子どもが生まれはじめました。はたと周りを見渡してみると、子育てをしている親、特に「お母さん」を取り巻く状況が異様なことに気がついた。公共交通機関を利用すれば白い目で見られ、子どもを預けて仕事をしたり旅行をしたりすると母親失格かのように言われる。「お母さん」は、基本的人権さえ認められていないようです。
白河 私のようにこの分野に長く関わっている人間や、子育てをしている当事者が同じことを発言しても、「またか」と思われてしまいがちですが、男性で子どものいない古市さんが全く違う角度から発言してくださると、女性の言えないことが言えますし、影響力も大きいですよね。
古市 赤ちゃんが産まれた途端、みんなの関心は赤ちゃんに集まって、お母さんに無関心になりますよね。今、少子化とか労働力不足とか大騒ぎしていますが、その2つの問題を一度に解消してくれる大きな可能性を持つのが母親です。ところが母親は、保育園探しで苦しんでいる。この状況を政治がなんとかしないと、子どもが増えるはずがありません。
「保育園義務教育化」が日本の少子化を変える
白河 まさにその通りですね。今回、古市さんの提案の一番のポイントは「保育園義務教育化」というコンセプトにあります。以前取材したフランスでは、2、3歳から全員がこども園に入ることができ、その後大学卒業まで無料で進学できます。ヨーロッパでは仕事も結婚も流動的なもので、その両方がなくなったとしても、子育てだけは大丈夫と国が保障しています。子どもを安心して産める環境が整備されています。
古市僕は大学在学中に1年間ノルウェーに留学して育児政策や少子化の問題を学び、卒業論文もノルウェーの育児政策について書きました。子どもが1歳までは約80%の給料が支払われる育児休暇があり、1歳以降は保育園へ入れるのが当たり前。ほぼ無償で保育園から大学まで進学できます。ノルウェーは特に労働力が少ない国で、男女ともに働かないと国が回らない中でそういう仕組みをつくってきたんです。日本も今、同じような状況に近づいています。
白河 少子化問題は、複合的にいろいろな政策にまたがって進めなくてはならないので、とても難しい。どこのスイッチを最初に押せばいいかという議論が必ず出ます。そこで、古市さんの「保育園義務教育化」はとてもわかりやすいですね。
古市 義務教育となれば、全員が入れるようにしなければいけません。まず待機児童問題の解消につながります。また、教育経済学によれば、5、6歳までに非認知能力(努力、意欲、自制心などの人間として生きていくために必要な能力)を伸ばすことが非常に大事だと分かっています。昔の日本は、家庭や地域でそういう力が育まれてきたけど、今は難しいですよね。その時期を保育園で過ごすことはとても大事です。
少子化のポイントは単に子どもを増やすだけではない
白河 6歳までの教育が大事というと、「母親と一緒に過ごさなきゃ」「3歳児神話は本当だったの?」と思われる方もいるかもしれませんが、この本を読むと、そうではないんですよね。
古市 もちろん違います。歴史上、母親が一人で子育てする時代なんて、決して一般的ではありません。昔は日本でも、子どもは地域、親戚、大家族の中で育ったわけです。お母さん一人に育児を任せることは、日本の伝統でも何でもない。本の中でも書きましたが、「3歳児神話」は本当に神話に過ぎず、学会でも否定されていますし、1998年版『厚生白書』では合理的根拠がないと断言しています。なのに、なぜか働いているお母さんたちも保育士さんでもまだとらわれている人がいて驚きます。
白河友人が「幼稚園に入れない子はいないのに、保育園に入れないなんておかしい」と言っていました。保育園と幼稚園を一体化させてこども園にするという話が進めば状況は改善すると期待していましたが、なかなか統合が進みませんね。そこで、保育園義務教育化という考え方はそこを突破できるのではないか、と希望を持ちました。
古市 義務教育化といっても、全員が0歳児から週5で保育園に預けるべきだと言いたいわけではなく、家族のスタイルによって、毎日、週1回、数時間など様々な形態で預けられるような形でいいと思います。
白河 ヨーロッパでは、3年間などの長期の育休は廃れてきています。親が子どもを長期間抱え込んで育てると、子どもの社会性を育む機会を阻害するという考え方なんですね。家の中では虐待も見えません。古市さんも、保育園など集団の中で育つことが重要だとしっかりと語られていますね。
古市 経済学的に見ても、国が幼児期にしっかりお金をかけると結果的に社会全体の税金が安上がりになります。コストパフォーマンスがいいんですよ。
白河 やはり少子化の一つのポイントは、「これからどれくらい子どもが増えるのか」だけではありません。今、既に生まれている貴重な子どもたちをしっかり育てることですね。生まれた環境にかかわらず、子ども達がしっかりと育まれ教育を受けることで、納税者として1億円納税してもらうか、教育の機会を失い将来的に生活保護が必要になって1億円ぐらい社会保障費を使うか、どちらがいいかは明らかです。
古市 国がちゃんと乳幼児教育にお金をかけるという考え方は、ごく当然な発想なんですけどね。
働いている女性も働いていない女性も一丸となってほしい
古市 日本の男性の家事、育児時間は、先進国の中で最も少ない。日本の女性は先進国の中で最も多いというデータもあります。
白河 そして、日本の女性が最も寝ていないという調査結果もあるんです。
古市 輝く女性を応援するといって、男性が家事育児を担うわけでもなく、ただ女性に働いてほしいというのは都合がよすぎます。物理的にも両方やれなんて無理ですよ。育児休暇だって、男性が3年取ってもいいはずですが、そうはいかない。男性が育児休暇を3日とると超ほめられるのに、女性はそもそも出産後3日で職場復帰すること自体が無理ですよね。まず産後1カ月は母体のためにも安静にしている必要がある。育児休暇が1年あるとして、初めの半分を女性、残りの半分を男性が取るという発想があってもいいはずなのに、まだ少しも一般的ではない。こうした男女のバランスの悪さは、いびつだと思います。
白河 ヨーロッパを見ていると当たり前にある人権感覚が、日本では非常に薄いですね。子どもの人権も、女性の人権も余り認められていない。労働者の人権も認められていないので、男性も含めてみんながつらい。
古市 それから、所沢市の待機児童の問題もそうですが、置かれた状況が違うからといって女性同士で対立する必要はないはずなんです。保育園が十分にないとか、女性がちゃんと定時で働ける環境があまりないとか、そういうことは根本的には制度の問題です。政府でなんとかできる問題を、制度で解決せずに女性同士を対立させてしまうのがすごく悲しいなと思ったんですよね。
白河 ある偉いおじさまに、「それは分断統治といって最も統治しやすい方法なんだよ」と言われたことがあります。当事者がまとまってやって来ると強くなるので、働いているお母さんとそうじゃないお母さんとか、お母さんとお母さんじゃない人が対立しているうちは、統治しやすいということです。ですから、女性も、男性も、一丸となる必要がありますよね。
白河 専業主婦は、本当に働く必要のない人と、働くための環境がなくて本当に困っている人とに二極化しています。でも、どちらにしても、おそらく9割くらいの人は、一生懸命稼ぐ力も上げていかないと、老後貧困になってしまう人が増えていくのではないでしょうか。
古市 大きなリスクですよね。今、離婚率は3割ですから。「結婚は永久就職」なんてとんでもない。社会学者の瀬地山角さんがよく言っているのですが、倒産率3割の会社に入って喜ぶ人は誰もいませんよね。だったら自分で稼げる道を伸ばしておいたほうが、明らかに合理的です。
白河 夫婦の単位でも女性が働くことはリスクヘッジになりますし、国を挙げて女性に働いてもらわないと、日本はもたないということも、企業サイドでもかなりトップの人はよく認識していると思います。ただ、まだまだ見せかけの女性活用も多い。
ピケティが本気で危惧する日本の少子化問題
古市 経済学者のトマ・ピケティ氏と今年1月に対談したとき、彼が一生懸命語ってくれたのは日本の人口減少と少子化でした。「少子高齢化が進んでいるのに、女性が働きにくい環境を放置している意味が本当にわからない。このままでは、日本は本当に恐ろしいことになる」ということを、何回も言われました。
経済成長は人口を増やすか、生産性を上げるしか方法がないのに、日本は人口を増やすことに本当に無頓着。ピケティ氏はフランスの学者なので、日本はとても不合理だと思われているようです。
白河 フランスは、出生率回復に取り組んで成功していますからね。日本では、少子化は女、子どもの問題だと思われてきたふしがありますが、本来は、社会全体の問題であり、経済の問題ですよね。
古市 僕もスタートは日本全体をなんとかしたくて少子化をどうこうしようと思ったわけではありません。身近な妹や友人を見ていて関心を持ったわけです。僕がそうだったように、きっかけさえあれば、実は誰もが、「少子化問題は自分にとって身近な大きな問題だ」と気がつくことができると思いますよ。
(ライター 太田美由紀)
[日経DUAL 2015年8月24日付の記事を再構成]
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