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ライフコラム
法廷ものがたり

年金加入の空白、一時金を受け取ったのは?

2015/9/30

法廷ものがたり

裁判記録をとじた厚いファイルを開き、埋もれた事案に目を向けてみれば、当事者たちの人生や複雑な現代社会の断片が浮かび上がってくる。裁判担当記者の心のアンテナに触れた無名の物語を伝える。

東海地方に住む80歳代の男性の年金加入記録から、半世紀前に団体職員として働いた約7年間が抜け落ちていた。調べてみると、退職時に「一時金」として受け取ったことになっていた。一体誰が? 身に覚えがない男性は「加入記録に明らかな誤りがある」として役所に審査を求めたが……。

男性が東海地方の農業団体で働いていたのは1960~67年、20歳代後半から30歳代前半までの87カ月間だった。農林年金(現在は厚生年金に統合)に加入し、月2100円を支払っていた。ところが、最近になって日本年金機構から受け取った「年金加入期間確認通知書」には、その期間が厚生・国民年金の合算対象期間に入っていなかった。

不審に思った男性がかつて働いていた団体に問い合わせると、「退職した67年に退職一時金として約21万円を支給しているので、働いていた期間は年金の支給対象にならない」との回答だった。

当時の農林年金では、退職から60日以内に本人が希望すれば、支払った分を将来の年金に回さずに退職一時金として受け取ることができた。その場合、働いていた期間は年金の加入期間から除外されることになる。

男性はピンとこなかった。退職一時金を受け取る場合は、退職時に一時金請求書を提出する必要があるが、そのような書類を書いて提出した記憶はなかった。

残っていた退職一時金の請求書、筆跡は別人

男性が当時の資料を入手して調べたところ、意外な事実が明らかになった。男性が作成したとされる一時金の請求書が出てきたのだ。筆跡は男性とは明らかに異なり、申請者欄に記された名前の漢字も間違っていた。住所の欄には男性の当時の住所ではなく、架空の番地が記されていた。

誰かが自分のふりをして一時金を受け取ったのか――。実際に一時金を受け取るには、請求書に基づいて団体が発行した書類を金融機関の窓口に提出することになっていた。しかし、すでに文書保存期間が過ぎていて、金融機関に書類は残っていなかった。

男性は「加入期間が認められていれば年金の総支給額は100万円以上加算されていたはずだ」として、関東信越厚生局の社会保険審査官に審査を申し立てた。

一般的に、年金給付などを巡る国の決定処分に不服を申し立てる場合、まず各地の地方厚生局の「社会保険審査官」に審査を請求する。その審査結果に不満があれば、厚生労働省の「社会保険審査会」に再審査を請求できるとされている。

ところが、審査の請求を受けた社会保険審査官は「加入期間の通知は審査請求の対象にならない」として門前払い。再審査の請求を受けた社会保険審査会も「そもそも審査官が審査していない件の再審査請求はできない」と突き返した。

男性は引き下がらず、「通知は審査請求の対象になるはずだ」と国を相手に提訴。対する国側は「加入期間の確認は社会保険審査『会』に対してするものだ」とし、社会保険審査「官」に対する審査請求はそもそも相手を間違えていると主張した。

手続き論で勝訴も、「空白」解消の行方不透明

審査請求の手続きを巡る法解釈の争いは、男性に軍配が上がった。地裁の判決は「加入期間の通知に不服がある場合、社会保険審査『官』に対して審査請求できる」とし、国側も控訴せずに受け入れた。

ただ、この勝訴によって直ちに男性の年金加入期間の空白が埋まるわけではない。今後、社会保険審査官が問題の87カ月を加入期間と認めるかどうか審査することになるが、そこで、筆跡の違う請求書の存在が決め手になるとは限らない。

「現金で給与を受け取っていた60年代当時は、職場の会計課に自分のハンコを預けて会計手続きを一任することが一般的に行われていた」。年金問題に詳しい弁護士はこう指摘する。「請求書を会計課の職員に代わりに書いてもらった可能性はある」

ある年金組合の関係者は「一時金を受け取ったことを忘れてしまい、『もらっていない』と訴えるケースは少なくない」と説明。一方で「請求書の住所が架空だと必要な書類が手元に届かず、一時金を受け取れなかったはず」と首をひねる。

半世紀前の請求書を巡る真相は解明されるのか。男性は主張通りに年金の増額を勝ち取れるのか。先行きはなお不透明だ。

(社会部 山田薫)

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