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英国ロイヤル・オペラ「ドン・ジョヴァンニ」 映像と演技がえぐり出す色事師の意外な内面

2015/9/17

世界五大歌劇場の一つ、英国ロイヤル・オペラが5年ぶりに来日した。地元ロンドンの名門劇場コベントガーデンで上演されたヴェルディ「マクベス」とモーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」の2演目を日本で上演する引っ越し公演だ。9月12~21日の期間にそれぞれ4回と3回上演する。プロジェクション・マッピングなどの映像技術を使って登場人物の内面を浮き彫りにした斬新な演出の「ドン・ジョヴァンニ」を見た。
プロジェクション・マッピングを使ったカスパー・ホルテン演出の斬新な舞台。英国ロイヤル・オペラのモーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」(9月13日、東京都渋谷区のNHKホール)=photo:Kiyonori Hasegawa

9月12日に東京文化会館(東京・上野)での「マクベス」で幕を開けた来日公演。翌13日の「ドン・ジョヴァンニ」はNHKホール(東京・渋谷)で上演された。2演目を通して同劇場付のロイヤル・オペラハウス管弦楽団を指揮するのはアントニオ・パッパーノ。「ドン・ジョヴァンニ」の序曲は切れのある端正な演奏だ。序曲の間に早くもプロジェクション・マッピングが活躍する。舞台の建物を壁にして映し出されるのは数え切れないほどの名前。ジョヴァンニが射止めた女性のリストと思われる。

もっと女性遍歴を重ねるぞとドン・ジョヴァンニ(イルデブランド・ダルカンジェロ)が息巻く第1幕の滑稽なほど異様なスケール感の場面(9月13日、NHKホール)=photo:Kiyonori Hasegawa

演出を担当したオペラ・ディレクターのカスパー・ホルテンは9月11日の都内ホテルでの記者会見で「それぞれの登場人物の核に迫るものを、新しい技術の力を借りて表現したいと思った」と語った。ただし「(プロジェクション・マッピングのような)新技術は歌手たちを支えるものにすぎない。人物のキャラクターが浮き彫りになって初めてこの作品の本質が現れる」と断りを入れた。

確かに演劇の国、英国の歌劇場だけあって、世界各国から集まった歌手たちの演技力は磨き抜かれている。女性をたぶらかし、冒頭で殺人まで犯してしまうジョヴァンニ役のイルデブランド・ダルカンジェロ(バス・バリトン)は、「悪党」と字幕に何度も出るほどには悪党らしくない。派手なプレイボーイ、色事師の装いとは裏腹に、どことなく孤独の影を引きずる雰囲気を出している。

登場人物の感情の変化に応じて変色していくプロジェクション・マッピングによる「ドン・ジョヴァンニ」の舞台((9月13日、NHKホール)=photo:Kiyonori Hasegawa

「メランコリックで悲哀を抱いたドン・ジョヴァンニ」をホルテンは想定したという。「ホルテンが考えた演出をいかに具現化するか。過去のものをすべて消し去って新しい役作りをしなければならない」とダルカンジェロは記者会見で語っていた。場面に応じてジョヴァンニの内面を表すかのようにプロジェクション・マッピングが壁に血染めの赤や夢見心地の青空を映し出すのが効果的だ。

ジョヴァンニの従者レポレロ役のアレックス・エスポージト(バス・バリトン)が歌唱、演技ともに光った。コミカルな役回りで笑いを取り、ドンナ・エルヴィーラ役のジョイス・ディドナート(メゾ・ソプラノ)からは出合い頭に手加減無しの平手打ちを思い切り食らう。エルヴィーラに向かって彼がジョヴァンニの女性の数を歌い上げる「カタログの歌」が皮肉なおとぼけを込めていて秀逸。ジョヴァンニに裏切られたと全幕に渡って非難しつつ追いかけ続けるエルヴィーラについては「真実の愛を体現している」とホルテンは説明した。やはりコミカルさを漂わせながらディドナートはエルヴィーラ役を好演した。

モーツァルトの世界らしいコミカルさもみせながら感情あふれる好演をしたレポレロ役のアレックス・エスポージト(左)とドンナ・エルヴィーラ役のジョイス・ディドナート(9月13日、NHKホール)=photo:Kiyonori Hasegawa

全2幕のこのオペラの前半でプロジェクション・マッピングが驚異的な威力を発揮したのが、ジョヴァンニの「シャンパンの歌」。女性を誘惑し続けて女性リストの名前を増やすぞというセリフを息巻いて歌い上げる場面だが、舞台中央のダルカンジェロの周囲を巨大な渦が回り続け、常軌を逸する狂気めいた空間を生み出していた。

第1幕で最も盛り上がったのは七重唱のフィナーレ。ドンナ・アンナ役のアルビナ・シャギムラトヴァ(ソプラノ)、ドン・オッターヴィオ役のローランド・ヴィラゾン(テノール)、ツェルリーナ役のユリア・レージネヴァ(ソプラノ)、マゼット役のマシュー・ローズ(バス)、それにエルヴィーラ役のディドナートの5人がジョヴァンニへの復讐(ふくしゅう)を歌い、ジョヴァンニとレポレロがこれに対抗して歌うという総出演。この場面でのモーツァルトの速いテンポの音楽の推進力がすさまじい。パッパーノの指揮が管弦楽から驚異的な「クレッシェンド(だんだん強く)」のパワーを引き出した。これぞモーツァルトと呼ぶべき胸のすくような快速の音楽だった。

第2幕も聴きどころが満載だ。視覚効果で優れていたのは、ジョヴァンニを追う5組6人がそれぞれの部屋で思い思いのセリフを歌う場面。部屋ごとに区切られたプロジェクション・マッピングの映像によって、各人各様の感情や内面の動きが描かれたのは斬新だ。

注目のソプラノ、ツェルリーナ役のユリア・レージネヴァ(右)の歌唱も光った。ドン・ジョヴァンニ役のイルデブランド・ダルカンジェロ(左)とマゼット役のマシュー・ローズ(奥)(9月13日、NHKホール)=photo:Kiyonori Hasegawa

全幕を通じて場面転換の速さ、テンポの良さがあり、飽きさせない。プロジェクション・マッピングによる映像のおかげで大道具がそれほど必要ではないためだが、この転換の速さがモーツァルト独特のアレグロ(速く)風の音楽に合っている。

そして最後のジョヴァンニの地獄落ちの場面。ホルテンは「彼の運命をよくよく考えて演出した」と話す。「彼が恐れていたのは地獄の炎だったのか。本当に恐れていたのは炎ではなく孤独だったのではないか。こう考えて、すべてを得た者が最後には何も残すことができないという最終場面を考えた」。

プロジェクション・マッピングによって映し出されていた女性のカタログの名前が次々と消えていく。「悪人の最後はこの通り」の終結部で歌手たちは隅の方で歌い、舞台中央にはジョヴァンニだけが……。勧善懲悪のストーリーでありながら、人間存在のもろさ、頼りなさ、そして人間の多面性と意外性を浮かび上がらせる。こうした真新しい演出に歌手たちがよく応え、深みのある舞台作品に仕上がっている。オペラの定番作品に斬新な映像効果を加えて人間の内面性をえぐり出す舞台は必見だ。

(文化部 池上輝彦)

「ドン・ジョヴァンニ」は9月17日と最終日の同20日ともNHKホールで上演される。英国ロイヤル・オペラの今回の来日の最終公演は9月21日、東京文化会館での「マクベス」。

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